言葉への深い想いと共に ── 松岡多恵さんインタビュー
2021年1月13日(水)に、オペラカッフェマッキアート58が開催する、第3回ストリーミングコンサート。
メンバーインタビュー第6回目は、第3回ストリーミングコンサートにご出演の、ソプラノ・松岡多恵さんのお話をお届けします。
松岡多恵(まつおか たえ)
神奈川県横浜市出身。
東京藝術大学、同大学院修士課程声楽専攻修了、現在同大学院博士後期課程に在籍中。
博士後期課程では日本歌曲を専攻、主に萩原朔太郎の詩を中心に研究。
修士課程在学中に成績優秀者として「芸大モーニングコンサート」に出演、藝大フィルハーモニア管弦楽団と共演。
東京二期会オペラ研修所第58期マスタークラス修了。同本科修了時に奨励賞受賞、マスタークラス修了時成績優秀者として「新進声楽家の夕べ」に出演。
第24回奏楽堂日本歌曲コンクール奨励賞、第9回横浜国際音楽コンクール第2位。
東京藝術大学より毛利準賞、長野羊奈子賞を受賞。
これまでにペルゴレージ「奥様女中」セルピーナ役、パーセル「アーサー王」妖精フィリデル役、ヴィーナス役、プッチーニ「ラ・ボエーム」ミミ役、ドニゼッティ「ロベルト・デヴリュー」エリザベッタ役等、またベートーヴェン「交響曲第9番」ソプラノソリストとして出演。
横浜市民広間演奏会、二期会会員。
松岡さんは現在、東京芸術大学大学院博士課程に在学し、日本歌曲を中心に研究を深められておいでです。言葉と音楽の連関による深い内面世界の描写を得意とし、年々その評価を高めています。
先日、博士リサイタルを終えられたばかりの松岡さんに、オンラインでお話を伺いました。
薔薇と共に過ごした日々
「先日、第2回目の博士リサイタルを終えました。今回は萩原朔太郎の詩を中心に据え、ミヨー、メシアン、別宮貞雄先生の曲を集めた構成のプログラムにしました。
リサイタルでは、自分で設定した課題の中でも出来たことと出来なかったこととあって……。まあ、それはいつものことなのですが、それでも今回は、本番に至るプロセスにおいて掴みかけたことを、本番でも出来たかな?という感触がありました。今まで見えなかった世界が見えた、いい本番でした」
そう言って、たおやかに笑う松岡さん。けれど、このリサイタル開催に至る過程では、様々なことがありました。
「今回のリサイタルは、本来は4月に開催予定でした。けれど、コロナの影響でこんなにも時期がずれこんでしまいました。その間、この先どうなるかわからないということが、心を削っていく要因となりましたね。緊急事態宣言が発令され、芸大も入構制限がかかったので、上野に行くということも出来ない毎日を送っていました。その間、庭の薔薇が心を慰めてくれていました。
けれど、自宅にずっといること自体は、自分にとってはつらくはなかったんです。むしろ、自分の音楽を見直すいい時間となりました。やることがないので、ずっと楽譜を読んだり、練習していたのですが、ピアニストの先生と合わせられた時に『とてもいい勉強をしてきたのね』とおっしゃっていただけて、びっくりしました」
コンテンポラリーの作品の開拓
博士課程に進学以降、専門の日本歌曲だけでなく、新たにフランス歌曲の世界も開拓されている松岡さん。今回のリサイタルでは、メシアンの作品にも多く取り組まれました。
「メシアンは、まさか自分が歌えるようになるとは思っていませんでした。ピアニストの兄が、学生の頃に演奏会でメシアンを弾いているのを聴いたことを思い出します。その時には、自分とは縁遠い作曲家だと思っていました。そして、絶対歌うことはないだろうとも思っていました(笑)」
けれど、現在はメシアンや三善晃などコンテンポラリーの作品を得意ともされる松岡さん。その転機はどこにあったのでしょうか。
「メシアンに取り組むことになったのは、2016年度から2018年度にかけて受講していたフランス歌曲特研の授業がきっかけとなりました。2018年度は授業を長年担当くださっていた太田朋子先生の、最後の授業の一年だったのですが、その際に先生が初めてメシアンを授業で取り上げられたんです。
そして、メシアンの〈ミのための詩〉から〈首飾り〉を授業の中で担当することになったのですが、自分では『なぜ、メシアンを……』と思っていました。譜読みも大変だし、最初はよくわからないと思いながら取り組んでいましたが、徐々に魅力を感じるようになり、惹き込まれていきました。
思えば、修士時代も含めて、フランス歌曲──『メロディ』というジャンルへの関心を育てていただいたのは、太田先生の存在あってこそです。一回目の博士リサイタルでは、フォーレとドビュッシーを、詩人ボードレールの存在を介して結び、それに日本歌曲を組み合わせて、プログラムを組んでいきました。フランス歌曲を、日本歌曲と同じような感覚でプログラミングできるようになったのは、太田先生との出会いが大きなきっかけですね。
三善晃先生の作品を歌うようになったのは、修士課程の時に歌曲集〈聖三稜玻璃〉に取り組んでからですね。非常に難しい作品でしたが、この時にとても高い評価をいただきました。そして本格的に三善先生の作品に取り組みたいと思ったのも、〈聖三稜玻璃〉を歌ってからです。
それより以前の、学部4年生の学内演奏会では、林光先生の〈四つの夕暮の歌〉全曲演奏に取り組みました。思えば、それがコンテンポラリー作品に取り組みはじめた最初の一歩でしょうか……」
松岡さんは、昔を懐かしむような表情になりました。
言葉には、いつも恋をしている
もともとは、日本歌曲を得意と思ったことはなかったと、松岡さんは打ち明けます。
「大学受験から、修士2年まで三縄みどり先生に師事していたのですが、受験の時の日本歌曲のレッスンが非常に厳しかったんです。今にして思えば、日本歌曲は三縄先生の専門分野でらっしゃるので当たり前のことなのですが、当時の私は『自分が至らないから、先生はこんなに厳しいんだ』と思っていたんです。
それで、芸大に入ってからも日本歌曲を勉強し続けました。日本歌曲は受験のために歌っていたという人もいましたが、自分はそれが嫌だったし、なにより苦手なままで終わりたくなかったんです。いつかは苦手じゃなくなる所まで、そして人前で披露できるように……と願いながら、しつこくずっと続けていました(笑)
三縄先生クラスでは、毎年10月頃に、10分程度のプログラムを披露する勉強会が開かれていたのですが、そこでは選曲に対しても厳しい指導がされていました。10分程度のプログラムを披露するにあたっては、歌曲とアリアを組み合わせるのはNGとされていたんです。そうした制約の中、歌曲集全曲に取り組まれたりする先輩方の姿を見て、学部1年の頃からプログラミングを学んできました。
なので、さっき話した学部4年の学内演奏会でも、プログラムを新しく考える必要があったんです。その時に、『谷川俊太郎先生の、この詩を歌いたい』という気持ちが湧き上がってきて……。そして、歌わせていただいたら、思いもよらない高い評価をいただいて、とてもびっくりしました。思い返せば、『この詩人を歌いたいから』という理由で選んだ、最初の経験でした」
〈四つの夕暮の歌〉を全曲演奏した経験が、のちの松岡さんの精神的基盤となったのかもしれません。松岡さんの音楽世界の中で、徐々に「言葉」「詩」の存在が大きく育っていきました。
「現在の師匠でらっしゃる永井和子先生は、『言葉』に対しての感受性がなんて豊かなのだろうと驚嘆しています。ひとつの単語を発語されるのにも、様々な角度から検討を重ねて、そして血の通った『言葉』として唇にのせていらっしゃる姿に触れるたびに、自分の中に新たな世界が広がっていくのを感じます。
個人的には、小さな頃から音楽のある日常というのが、当たり前のものでした。家族も皆、音楽を仕事にしているので、音楽は気がつくとそばにいてくれる存在でした。けれど言葉は、自分とは異なるものという感覚があります。自分とは異なる存在だからこそ、惹かれてしまう。そんな感覚をずっと抱いています。
たとえば、先日の博士リサイタルで扱った詩人のひとりでもある大手拓次は『薔薇』、そして『香料』という言葉を特別に思っていたのではないかしら……と、思っています。白ばらの香料や、鈴蘭の香料について書かれた詩もあるのですが、まさに匂い立つような独自の世界が構築されています。そうした世界の一端に触れると、もっともっとその世界を知りたいという気持ちが湧いてくるんです。きっと、これからもずっと、言葉には恋をし続けるのだと思います」
そして、松岡さんは柔らかい微笑みをたたえました。
ストリーミングコンサートによせて
最後に、今回のストリーミングコンサートについてうかがいました。
「今回のストリーミングコンサートでは、自分にとって思い入れの深い曲目を多く選びました。『桐の花』は、学部時代に、今回のピアニストの仲村さんと一緒に取り組んだことのある曲。そして、《ラ・ボエーム》のミミは、マッキアートの公演でも演じた思い出の役です」
「二重唱も多く選びました。宍戸さんと二人でプログラムの相談をしている時に、宍戸さんが教えてくれたのが『海と涙と私と』という、やなせたかしさんの詩に、木下牧子先生が作曲された作品。これも、まず詩を調べてみたら、涙うるむような優しい詩で……。この曲を、宍戸さんと一緒に声を重ねて表現できることが、とても幸せです」
「そして、身の回り全てへの感謝の気持ちをもって、今回の曲目を選んでいきました。この苦しい期間、周囲の方々をはじめ、音楽、自然や環境に励まされ、支えていただいたことへの感謝を伝えられればと願って……。プログラムはあれこれと考えましたが、皆様にお喜びいただければ幸いです。そして演奏を通じて感謝の想いを伝えていければ、とても嬉しいです」
松岡さんご出演の、オペラカッフェマッキアート58 第3回ストリーミングコンサート、どうぞお楽しみに!
オペラカッフェマッキアート 第3回ストリーミングコンサート
オペラカッフェマッキアート58 第3回ストリーミングコンサートの公演概要は、以下の通りです。
オペラカッフェマッキアート58
第3回ストリーミングコンサート
日時:2021年1月13日(水)19時開演
出演:宍戸茉莉衣(ソプラノ)、松岡多恵(ソプラノ)/仲村真貴子(ピアノ)
演奏予定曲目:
木下牧子作曲 さびしいカシの木
プッチーニ作曲 オペラ《ラ・ボエーム》より「私の名はミミ」 ほか
URL:https://youtu.be/mJeUEYaYCes
(加賀町ホールより、無観客ライブ配信)
どうぞ、お楽しみに!