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生成AIの流れは止められない──だから写真を撮ろう

数年前に出現した生成AI
最初にうちこそ拙いながらも文章を生成できると話題でしたが
今となっては世の中のどこで使われても人間が撮影した写真と見紛うほどの
それどころかどこで撮影したの?と現実そっくりの動画まで作ってしまう

そんな流れを受けて、これからは、パブリックな写真は衰退していくでしょう
誰が誰を撮った写真なのか、多くの人は現在でも分かりませんし、分かろうとしません
そこにAIによる写真が入り込んでいくはずです

じゃあ、写真はどこで残っていくのか
極々私的な範囲だけのものになるでしょう

幼い時父に撮ってもらった写真
これは、第三者から見るとほぼ意味のない写真です
しかし、父と子、撮影者とモデルの間には共通の撮影体験があります
この体験こそが写真の本質になっていくのです

であるならば
写真を撮りましょう
お話をするように撮りましょう
肩車をして散歩する夫を取りましょう
日差しの下、びしょ濡れで遊ぶ息子を撮りましょう
ケンカしてどう仲直りしようか悩みつつ見ている夕日を撮りましょう

この世界に残されているのは
あなたが撮った写真
あの人を撮った写真
見せたいものを撮った写真

まわりの人とご自分のために、撮りましょう

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