風に吹かれて散りそうになる。
死を考えるとき、
ふかふかのベッドだったら
どれだけよかったか。
怖い思いをしたので、ここに記録する。
晴れでも雨でも曇りでもない日、私は歩いたことのない道を通り、数駅も離れた駅についた。
その駅のそばには大きな陸橋があって、歩いたら500mはあるような巨大な橋だった。
写真が撮りたくて、友人を残して走って陸橋に立つ。
この写真。
私が眺めている視線の先には河川敷で草野球している少年たちがいた。
まだ、平気だった。
荒川に掛かるこの橋を入り口から出口まで歩いてみたとき、恐怖を覚えた。
今までに感じたことのない恐怖。
私が歩く右側には車が走り、左側には途方もなく広い荒川が見える。
おもりの効かない体が風で吹き飛ばされそうで、前進するたびに足に神経を使う。
吹き飛ばされたら終わりだ。
ふかふかの布団の中で死にたいなんて思った私がバカらしく感じる。
今、とてつもなく生きることに必死になって、歩いている。
友達の歩く速度が速くて、私はいつ置いていかれるか分からない。
子供の頃からそうだ。
自転車で坂道を下ることも苦手だった。
中学の時、演劇部の大会で文化会館まで行くのだけど、帰り道に勾配の急な坂があって、部員が楽しそうに降りていく中、私は自転車を降りて走ってみんなを追いかけた。
当然間に合うわけもなく、青信号までそのスピードで渡りきる人、私に気づいて信号の手前で待ってくれる人、様々だった。
臆病な私が嫌で、坂道を登る速さは一番だったけど。
長縄だって、縄に当たったら痛いから苦手だったし、注射も大人になった今でも泣くほど嫌いだ。
怖いこと、痛いことには敏感なくせに、それを望んでいた私を拳で思いっきり殴ってやりたい。
痛いことと怖いことには平気になっていけない。
慣れや克服は必ずしもいいものだとも思わない。
そういった感覚があればあるだけ、生きようと思えるし、人に優しくできる気がする。
臆病な人は他の人よりも勇気や度胸がないと思われがちだが、そんなことよりも勇気の使い方を間違えないように、いらない勇気を使わせることが起きないように、丁寧に慎重にならないといけないと思うのだ。
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