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【日記】11月3日

昨日は気合いを入れて部屋の掃除をして今日もまたその続きをする予定だ。部屋の中にある気に入らないものをどんどん捨てて行こうと思う。ダサいな~とか、違和感あるな~と感じるモノは生活から切り離すべきだと思う。影響を受ける。
夜は松屋に行って牛丼の大盛りを食べた。買った時に食券が二枚出てきて、領収書的なのあったっけ?となんとなく思っていたけど、ちゃんと見たら牛丼大盛り二杯を注文してしまっていて焦る。ベガのサイコクラッシャーのような勢いで店員さんに謝りに行って許してもらう。許してもらえてよかった。本来定食に使うものなのかよく分からないけど、テーブルの脇にある甘口ソースを「海かっ!」ってくらいぶっかけて食べる。美味いか美味くないの判断が「味がどれくらいするか?」ということでしかできない。濃ければ濃い程美味い。濃さに天井があることが最近分かって、そこに到達すると気絶しそうになる。

寝るタイミングが養成所が終わってから掴めないでいる。

10時~13時 就寝
13時~18時 活動
18時~19時 就寝
19時~2時 活動
2時~  4時 就寝
4時→→現在に至るって感じだ。

多分ここから夜まで眠らないんだと思う。自分の適切な睡眠時間が分からない。平気なんだから平気なんだと思うけど。同期や友人からいつか突然死ぬと言われて少し気になる。一生生きる。

自分が見たいものを作るってなんでこんなに難しいんだろうか。あるのにな~。油断すると見たことがある形に流れそうになる。ぐち山が「フリがおもろかったら?」と言ったのが忘れられない。確かにそういった当たり前の配置みたいな部分を当たり前として、諦めていたのかもしれない。言語に縛られないようにしたい。言語を超えるために言語を使用するって感じ。言葉は再現性を高めるためにあるんじゃね?みたいなことを最近思う。

器用な立ち回りをする人の「立ち回りそのもの」が評価されている感じなんなんだろ。回り過ぎてる。受け取る方も「狙いがバレててもOK!」みたいな。血だらけのやつがいい、渇いてないとおもんない、魂込もったやつじゃないと身体が反応できない。上手さとか技術を表立って説明する人が増えてきたけど、そんなものはどうだっていい。みたいな感じのモードになってる。

今日はこれからトイレ掃除をして、靴を洗って、喫茶店に行って、ジャッジアイズ後半戦をやって、スト6やったりする。そういえばウメさんが初心者が丁寧さを心掛けると「なにもしない」という行動を取ることになる。そして強い行動を取っている人達のことを「荒らしてる」という風に言うのだけど、強い行動を取ってる側の人間からしたら「なにもしてないやつ」にしかならない。なにをしてもいいってことを一回知るべき。みたいなことを言っていて、お笑いでも全く同じことが言えるなと感心した。
勝負ごとにはどうしてもセオリーが発生してしまうし、それに沿わなければそもそも相手にされない部分がある。当たり前の配置みたいな部分を当たり前としてしまう理由はそこら辺が原因だ。そのぎりぎりを精一杯狙う。なぜこれに出るのか、どういうつもりで挑むのか、みたいなことが毎回決まっていないとブレる。ウケても全く意味がない。

何においてもそうだけど「なんでそれをしているんですか?」と聞いた時に答えられないのって結構やばいと思う。なぜ牛丼の大盛りを食べているのか分かりません、っておっかねえよ。牛丼が不味そう。答えられた方がいい。


落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。