劇団星乃企画 第12回公演「宇宙に一番近い夏」を見た感想
オススメしてもらって観た演劇「宇宙に一番近い夏」がおもしろかったので感想を書こうと思う。
「宇宙に一番近い夏」は深夜ラジオを通して繋がった女子高生たちの物語を描いていて、ちょうと僕がハガキ職人を始めたのも、大学入学のタイミングの十八歳のときだった。
この作品を見ながらラジオを中心に生活していたときの懐かしい言語化不明なあの感情、というか言語で括られて溜まるか!と今でも抱きしめるように大切にしてある記憶を僕は思い出していた。
あの日々を言語で括ることを拒否している自分が、この作品を通して素直に懐かしい気持ちになれたのは、台詞の積み重ねによって発生したこの演劇の中に流れる「時間」そのものに共感したからだと思う。
本を読んでいる時に全く関係のない記憶が呼び起こされることがある。それと同じでこの演劇を見ているときに僕は、大学時代住んでいたアパートの目の前にある真夏のゴミ捨て場をなんとなく思い出した。これは「ラジオって素晴らしいですよね」の一言では絶対に思い出すことができないことで、作品の中にしか存在しない時間の中に直接触れたときにのみ起こることだと僕は思っている。小説家の保坂和志さんが「小説は読んでいる時間の中にしかない」と言っていてとても感銘を受けたのだけど、この作品からもそれを学んだ。観客の記憶を刺激することができるのは、真摯に文字を連ねていった証拠だと思うし、それによって発生した時間というものは言語を超越して他者へと伝わっていく。この台詞のキレが、とかここがパンチラインだ、とかそういう競技的な点の羅列をやりたい訳じゃなくて、俺達が文字を綴る理由はこれじゃん!って思わせてくれるような作品だった、のでnoteでおすすめしたいと思った。
ラジオを毎週聞いているナツモと、目の前の現実、しなければいけないタスクと向き合うことを選択し、ラジオから少しずつ離れていくアザミ。僕はアザミと似ていて大学を卒業してからラジオを聞くのを辞めた期間が数年くらいあった。そのころから「ラジオとの距離感」みたいなものを考えるようになった。
結論、週に10番組以上聞いても、週に1番組だけ聞いても、年に1回だけ聞いてもいい、いつ戻ってきてもいい、という当たり前の考えに辿り着いた。「月に小説を100冊読む人」と「1冊の本を1ヶ月かけて読む人」そのどちらがより小説に思いがあるのかを比べるのが不可能であるのと同じことだ。
ナツモとアザミに違いはない。二人ともマジだった。
「気がつかないで笑ってる時間が多かったらそれだけで生きていけると思う」という台詞があるだけど、それは青春のことだと思った。年齢を重ねるにつれて「あ、この時間いま思い出になるな」と自覚してしまう瞬間が増えてきている。分かってしまうことが年々増えている。でも例えば今養成所に通っていて同期達とたまに4時間歩いたりとかするんだけど、無自覚で笑ってる時とかまだ全然ある。この時間をどれだけ増やせるかのバトルだと最近は考えていて、学生時代の時みたいに何も考えないでひたすら笑う、みたいなことが難しくなってきているからこそ、「幸せを死ぬ気でとりにいく」というもう根性で今は生きている。楽しく生きるのにも気合いがいる。
「ふいにくる幸せって容量超えちゃう時あるんだよね」ってのは十代から数年前までとてつもなく感じていたことで、うわ~いいな~って思った。
ふいにくる幸せを余裕で受け取りに行く強さもいるよね、って最近になって思うようになった。
「ラジオで繋がる」ということはマジである。体感している。「あ!当時僕/私もあれ聞いてました!」とかで盛り上がるってのは、ただ単に同じ番組を聞いていたから激アツなシンパシーを感じるのではなく、「その時間、私も過ごしてました。」ってことで分かり合えるのだなとこの作品を通して知った。
「ラジオリスナーフェス」で同じ時代に投稿していた職人達が芸人になっていて一緒に共演できたり、先日養成所の後輩の子から「落合のダッチワイフさんですか?なんのコーナーで読まれてたかは覚えてないんです。ただ聞いたことある名前に興奮しました!」と突然連絡がきたり、今になって繋がったりする。というか「なんのコーナーで読まれてたから覚えてないんです。」ってのが最高だった。言語化したくない最高さがある。
ちょうど今日の朝方まで、同じ時期にラジオ投稿していて、それから親友になったRNファイヤーダンス失敗こと山口慎太朗とゲームをしていた。それだけで生きていけそうな時間だった。
「宇宙に一番近い夏」は「時間」の話だと思う。
おもしろかったのがナツモとアザミは「夢花火のおやすみたまや」を誰しもが笑える日本一おもしろい番組とは認めていないところだ。でもこの番組ってなんか最高だよね、ってのはラジオリスナーなら誰しもが抱いたことのある感情だと思う。二人は「夢花火のおやすみたまや」のなにが好きだったか?というと「時間」だ。キレのある一言、とか超面白いボケ、とかそういうことじゃない。
冒頭で僕は【台詞の積み重ねによって発生したこの演劇の中に流れる「時間」そのものに共感した】と書いたが、それはラジオのよさそのものではないか、と終わったあとに気が付いた。
僕が死んでもなお、宇宙に【「下ネタ苦手~」ってお前スマホ割れてんじゃん】ってエロリズム論が流れていると思うと素敵。
ラジオ好きは是非見てください!あの時の記憶の断片は今もなお進行形で輝いていたのだな、と再確認できるそんな作品だと思います。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。