日記 七月二十日
最近はよく悩んでいる。昔からお世話になっているRAMさんにこの前会った時、自分から相談をしておいて、突然号泣したり逆ギレをしてしまったりと情緒がおかしなことになっている。
帰り道、この苛立ちに懐かしさを感じて分かったのだが、俺の中でRAMさんは父親的ポジションにあるのかもしれないということだ。「なんで分かってくんねえんだよ!!」である。まるで子供だ。自立しなくてはならない。
昔から悩んでいることはものすごく単純明快なことだ。外側に対してバランスを取るか否かということ。自分の文章は結構過激なこと(家族のこととか)を書いているような時でも、俯瞰して読み返してみると良い意味でも悪い意味でもバランスを保っているのが分かる。
自分の好きなところでもあり嫌いなところでもある。どっちかしかできないのならいいのだけど、どっちもできることがある。変な器用さがある。それに過剰な程に自覚的だ。だから悩む。「できること」と「やりたくない」ことが共存している。でもこの「できること」を今は選択した方がきっと状況はよくなる気がしてならない。けどやりたくない、の堂々巡りである。
今は一回物は試しでやってみっか~って感じだ。
なんで書いてはいけなかったり、言ってはいけないことがあるのかが頭では分かっているのだけど、やっぱり分からない。それで仕事がなくなるって、そもそものお前の土台が「人脈」というヤワなものでできてるからじゃないの?と思ってしまう。絶対「実力の時代」が来るはずだから、俺は素振りをし続けるし、好きな人とだけ飯を食う。今までと違うのは「好きかどうか分からない人」とともちゃんと会って話してみようってところだ。自分が嫌われちゃうかも分からないけども。でも俺のことが嫌い人なはセンスがないか余程ひまをしてるか、頭のおかしい人だと思ってるから、その時はその時でいいや。
美意識は最後まで貫こうと思う。佐藤二郎はどうして酔っ払った時にしかTwitterに本音が書けないのかを考えていたら二十一時になってしまった。俺は素面だ。己の弱さを受け入れて他人に分かってもらおうとするのはやっぱり格好悪いなと思った。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。