頭が上手く回らない。具体的な思考ができす、身体がぐったりする。どうして机に向かうことができないのか、と自己嫌悪に陥りながらカーペットの上で仰向けになりながらただ淡々と回るファンを眺めている。ファンはない。ファンのようなライトがある。自己嫌悪に陥る必要はないと気づいたのは眠りから覚めた時の頭痛がきっかけで、気圧がめっちゃやばいことを理解した。「このような体調とモチベーションの時は気圧がやばいのだ、なにも自己嫌悪に陥る必要がない、よって再度自分がこんな感じになった時はそのことを思い出して当日は急遽休日とするように」と前回記憶しておいてよかった。
だから急遽休日とした。
キッチンで煙草を吸いながらTwitterを見ていて、みんな売れてんな~と思った。若干虚しさのようなものが漂ったが、それは俺からというより、くそ暑い十六時の換気扇の音だけが聞こえるこの部屋から発せられたようだった。社会から必要とされていないことに落ち込んだり、疎外されているような気分になったことがこれまで一度もない。己の存在価値を社会を通さないと見いだせないのは、そもそも個人として成立していないような気がする。自分自身の存在価値を感じれないと生きていけないと思うこと自体が、実に甘ったるくおこがましい考え方だと思う。生きるも死ぬも全て自分で決めていいのであ~る。俺は社会に適応はするが、認められたいとは思わない。
「社会に貢献してんの?」みたいなことをドヤ顔で言う人をたまに見かけるけど、お前は社会に貢献することが目的でそれをやってんの?といつも思う。だとしたら「してません。これからもあなたは社会貢献を全うしてください。」って感じなんだけど、恐らく殆どの人が自分がコントロールできる範囲の外側で結果的に「社会に貢献」しているだけなのではないだろうか。
くだらないに尽きる。
元々1人か~とは最近つくづく思う。いいことだ。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。