潜むピエロ
中学生の時、英語を教えに来ていたベンというアメリカ人の男に怒鳴り散らされたことがある。ものすごい剣幕で30秒くらい英語で俺になにかを言っていたのだが、さっぱり分からず。隣にいた金子先生が一言だけ「ベンは、お前はピエロだと言ってます」と言った。英語ってそれだけのことを伝えるのに30秒もかかって不便だなと思ったのと、呪いの言葉だな、と思った記憶がある。
そして今、月日が経って俺の中に間違いなく「ピエロ」が存在しているのを感じる。それは意図的に残しておいてある「軽薄さ」のことだ。コミュニケーションを円滑に進めるために、自分を浅く保っておく癖があり、年齢を重ねると共に本来の自分とのギャップに非常に苦しんでいる。基本的に俺の中のピエロは「気まずい空気」を好物としている。「気まずい空気」とはなにかを簡単に言うと、互いに今現在発している言葉に意味などはなく、両者の頭の中にある共通認識が同時にバレあってしまうというシチュエーションを指す。こういった時に自分は軽薄な様を演ずることを徹するようにしてきた。つまりそれは敢えて空気を読まないことで、現状の文脈からの脱却を目指していたのである。そのようなシチュエーションから逃げることが出来たとしても、最終的に残るのは「落合は馬鹿で浅い」という個人の感想である。これから先、俺はどう立ち振る舞って行けばいいのだろうかと悩んでいたのだが、ふとさっき、コミュニケーションを取る際に自分を下げる必要がある人間とは二度と関わらなくていいのではないか?と思った。よくなんの気なしに「流石〜!!」という人がいる。これまでは「当たり前じゃないですか〜笑」と己の謙虚さをへし折ってまで会話をすることを目的としていたのだが、やっぱりその帰り道とかに絶望してしまうから、もう断絶とかでいいんじゃないかと今は考えている。なんとゆうか、この場をどうするか、とかじゃなくて、精神的に立ち去ろうみたいなことだ。自分も迂闊な発言で、相手の格を下げないように心掛けようと思う。
話は若干それるが、面倒な人間だと思われたくないあまり、ナイーブな自分をひた隠そうとぶっきらぼうに振る舞うも、その振る舞い自体が元々嘘であるため、かえってその奥底に濁るナイーブさが露骨に現れてしまっていて目も当てられない、みたいなおっさんをよく見かける。自分の内側にある本音と、外側の建前が乖離していればしている程、内側の本音が前面に出てしまうということを最近学んだ。何気ない日常会話の積み重ねで、気がついたら誰からも相手にされていない空虚な人間になってたりするので(残酷なのが、30代後半とかでそれに気が付いて取り返そうとするも、流動的なコミュニケーションの中で暗記法のようなやり方をしてしまって、嘘そのものみたいな人間になってしまう。「人はそう簡単には変われない」と思っている人が大多数なので、グラデーションをつけて変わっていかないと、人間性の変化を受け入れてもらえない。よって基本的にはもう手遅れ状態みたいな人がたくさんいる。)、一つ一つをちゃんとマジでやりたい。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。