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自意識過剰とかこじらせとか平成に置いてこい。

ネタを作る人はどうしても自覚的になる。これは仕方のないことで「ボケ」を作るにはツッコミ的な目線がどうしても必要だ。その目線は日常生活においても自分や他者に向くことになり、それが自意識を過剰にさせたり、己や他人の行動を狭めたりする。
ひねくれや、こじらせ、斜めの目線などは確実に平成で終わっていて、新しいモードに自分も切り替わりつつある、というか完全に切り替わってしまった。
数年前の自分のネタ帳や文章を読むと、普通に気分が悪くなることが多々ある。
単純に俺が大人になったってのもあるかもしれないね。もうみんなハッピーだったらなんだっていいや、とか思う。

俺があばれる君やなかやまきんに君が大好きなのは、彼らは「自覚」と「無自覚」の間に立っているからだ。両者とも自分の芸名に「君」を付けている時点でおもろい。これは大分自覚的だと思う。というか彼らは意外とシュールなボケをする。特にYouTubeなどのピンで活動している時はそれが露骨にでる。バラエティー番組の平場などでは「天然気味」の方で扱われがちだし、現に二人とも「天然」の要素がある。これは本当に無自覚の部分だと思う。
個人的に二人の最もおもしろい瞬間は「顔芸」をしている時だ。共通しているのは、二人とも普段の振る舞いが割とパワー系であるのにも関わらず「顔芸」をしている時は、引いているというところだ。これは確実に狙ってきている。本気で飛距離を出しにバットを構えている時に「静」の状態になるのが本当におもしろい。

↓これは僕が大好きなあばれる君の要素が全て詰まっている。俺が言っていることが一撃で分かると思う。


ゲーム実況などをよく見るが、芸人は本当に弱い。特に「大喜利が強い」印象を受ける芸人程、映えない。普段テクニカルなことをやっている人程メイキングに向かない。
ゲーム実況などで一番爆発する瞬間は、想定外のことが起きる場面である。誰もコントロールできない領域。起こすのではなく、引き寄せるに近い。
あばれる君、狩野英孝さんあたりがめっちゃおもしろいのは、そこら辺のこととすごい関係していると思う。ちなみにあばれる君はゲーム実況で自分の顔を画面のど真ん中に出すという発明をしている。

なんていうかもう例えば「結婚式」でおかしなところを発見したとしても、それをネタにしようとか思わない。いいじゃん別に、幸せならそれでいいじゃんってなっちゃう。
俺達プールサイドを見て「芸人っぽくない」と思ったのであれば、これが理由なのかもしれないね。
ちなみに相方の秦は「無自覚」と「自覚」の狭間にいる人間である。俺よりおもしろいと思う。ラーメンズのネタが長くて見れないとか普通に言っちゃうあたりとか、最高。だから組んでる。

振り返ると、僕が作るコントには「これおかしくない?」みたいな目線がない。なるべくしてなっていく。
そこにいる二人がそのシチュエーションの中で自然に会話をするだけで、爆発が起きる。そんなコントを今は作りたいと思っている。
「ここでこう言ったら面白くない?」とかじゃなくて「この人ってこの時こう言うんじゃない?」っていうネタ合わせがベストだ。
多分できそう。できかけている。あとはなによりもフィジカル。肉体肉体。健康でいようね。


落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。