【日記まとめ】10月29日~11月3日
※日記はほぼ毎日note内で更新されています。まとめたものです。
10月29日
書いたものを溜めるのが性格にあっていないので、日記は書いたらその日に更新することにした。けどそれだとTwitterが日記更新しましたツイートだらけになってしまうので、SNSでのお知らせは1週間分くらいたまったらにしようと思ってる。
やり込みが全然足りてない感じがして、作業スタイルにここ最近ずっと迷っている。自分はコンセプトが重視されたものだったり、作り込こまれたものがとても好きで、それはなぜかというと、その人がかけた時間とか熱意、伝えたいこと、美意識が、一切無駄のない形となって現れていて、なおかつそこに血が滲んでしまっているからだと思う。座れない椅子じゃなくて、ギリギリめいいっぱい座れる椅子にデザインされているものが作りたい。お笑いだし伝わらないと話にならない。知り合いとここら辺のことを話していたら、それって「民藝じゃね?」と言われておもしろいなと思った。
緊迫した精神状態でいなければいけない、みたいなことを心から信じていて、所属してからはそういうモードに中々なれていない。だから年二回の単独ライブをやることにしたし、他にも色々やっていくつもりではあるのだけど。自分がこれまで影響を受けたり、くらってきたもの、カッコイイと思えるものを自分でもやりたいというのなら、自分にくらいたいのなら、ある意味狂ってないとダメだと思う。狂えないならお笑い辞めた方がいい。養成所で北村さんが「だらだらこの業界にいるのが一番よくない」って言ってたのが忘れられない。多分このやり方はずっとは続かないんだけど(絶対壊れる)、やらなきゃいけないタイミングというのは確実にあってそれが今すぎるので、頑張ることにした。SNSは当分の間、お知らせのみになると思う。1回ちゃんとガッツリやらないといけない。ここを逃すと売れるのが数年伸びると思う。
ぎっくり首が治ってきた。まだ後ろにのけぞると痛みがあるけど、割と自由に動かせることができる。身体のどこかが不調なとき「健康」って最高なんだなと思うけど、それをすぐに忘れてしまう。もう忘れちゃったかも。
焼きそばには具がいらないと思っているので、バイトから帰ってきた瞬間に麺だけ3玉食べる。3口くらいで食べ終わった。
バイト先にボディビルダーをやっているお客さんがいて、ダイエットの方法を聞くと「お菓子も食べていいし、炭水化物を抜くとかもしなくていいんです。1週間の中で太る原因だなと思うことを、なにか1つ辞めるだけでよくて、走るとかもしないで、エスカレーターを階段にするだけでOKっす。」と言われた。彼は2週間でめっちゃ変わるんでその時経過を教えてください、と言ってくれた。助かるわ。焼きそば2玉にしよう。
10月30日
単独ライブのネタが1本だけ決まった。でも全然展開できない。バトルライブでかけるようなネタを羅列するんじゃなくて、全体として見た時にまとまりのあるライブにしたい。 昨日ぐちやまがスト6でダイヤ3に到達した。嬉しい。画面端奮迅昇竜のあとインパクトが埋まるということをラインした。お互いマスターが近い気がする。ホリパッド買おうか悩んだけどモダンなら不要そうで辞めた。いつかクラシックに移行することができるのだろうか。鉄拳を3から6までやっていたから、スト6の先行入力とかになれない。多分コマンドは出ると思う。風神拳とか出してたから。 家と喫茶店とバイト先をただひたすら行き来する毎日。通る道も全て決まっていて、それぞれの場所を線で繋ぐと丁度三角形になる。なんか電車みたいな感じで動いてる。脱線したい。 バイトをしながら、みんな働くの大変だよな~、働きすぎだよな~と思う。なんで一日中寝てたりしたらダメなのかしら。働きたい時だけ働けないのは、マンモスとかの食べ物がそこら辺を歩いてないからなんじゃないかしら。と、考えていたらそもそもマンモスって食べれるの?って疑問が湧いてきて、、調べたら
と出てきて、この聞かれていることを端的に回答しない感じからして、我々からなにかを隠そうとしているのではないかと勘繰ってしまった。なにかをはぐらかしたいときの言い回しだ。知られたくないなにかがあるのか。
日常的な狩猟ではなかったとあるからきっと食べてなかったのだろうか。でも俺も焼肉を日常的には食べないけど、財布に余裕がある時は焼肉きんぐとかいくしその時は死ぬほど食べる。ウマやトナカイ・ウシなどの動物が主要な狩りの獲物とあるが、これは要するにオリジン弁当ってことになる。食べる機会や回数と食べれるかどうかは別の話だ。我々にとって困難な食事でもあるからこそ、若手芸人が焼肉きんぐに行くことで周囲の者に勇敢さを示せるような儀礼的な側面もある。遺跡からマンモスの骨で作った装飾品が発見されたとあるが、これは焼肉きんぐのレシートのようなもので、あまりにも嬉しかったからレシートを冷蔵庫とかに貼っておいた、みたいなことなんじゃないだろうか。じゃあ食ってんじゃねえかよ。今、マンモスが外を歩いてたらそれを狩るのって、焼肉きんぐに行くことと同じくらい難しいことし、焼肉きんぐに行くこと自体にはテクニックが必要ないし命を張るリスクもないから、やっぱりバイトすることになりそうだ。おとなしく働こう。
三角形のレールの上を決まった時間に決まった動きで規則性を持って行動し、一見何も起きていないようで頭の中では常に事件が起きている。それではダメだと思う。精神的な人にならないためには、外をバカみたいに走るなりしてちゃんと肉体的な部分を自分で感じていないと、なんか自分が言ってることとかやってることが他者にぶっ刺さらない気がする。ライブにもっと出てえな。
ぎっくり首になった時みたいに、PKサンダーみたいな興奮と刺激に満ち溢れた稲妻が自分のこの繰り返された毎日に突き刺さってほしい。それを手繰り寄せために、淡々と青い炎を燃やすのであ~る。
11月1日
昨日は原宿にある事務所に行った。帰り道にコスプレをしている人を沢山見つけてハロウィンであるということに気が付いた。ハロウィン自体にはなにも思わないけど、半端なコスプレをしている人を見るとイライラする。コスプレがしたいなら明日も明後日も自分が好きな時に仮装して街に繰り出せばいいのに、周りもコスプレしてるからってだけの理由で半端なクオリティのコスプレしている人が一番おもしろくない。本気で仮装する以外のおもしろさがないのに。ハロウィンがおもしろくないと揶揄されがちなのは、実はそこら辺だと思う。
千鳥のニッポンハッピーチャンネルを見返す。定期的に見る。大吾さんがホームセンターで「BEAST」と書かれたつま先の先端に鋼鉄が入っている業務用の靴を気にいって、スニーカー好きの山内さんに電話で聞くシーンおもしろすぎる。あそこだけ何回も見ちゃう。
昨日のオーデションでネタを2本やった。久しぶりにやるネタがあったから、練習しなきゃと思いながらめっちゃ嫌で結局なにもせずにそのままやった。のだけど、勝手に台詞が全部出て、練習する必要性がないと身体が分かってたから嫌だったのかということが分かった。あの感覚のときはもうしなくていいんだ。というか、昨日のネタの感じこれまでに比べて出来が結構よい感じがした。練習してないからすごい自然だった。2本とも絶叫する箇所があるんだけどその時になにか掴んだ気がする。初めて知らない人の前で心から絶叫することができたかもしれない。
時代はフィジカルとバイブス。
自分は数字に異常な執着があったり、なにかが切り替わるために必要なきっかけが事細かに必要だったりする。例えば10月29日からダイエットを始めることはできなくて11月1日から始めるみたいな。考え方とかもそうで、カレンダーにこの日から真逆の方向性で考える、とか書いてたり、なんかすごい気持ち悪い。早朝からお菓子を食べてしまった時は、風呂から上がったときに化粧水をしなかったり、作業を辞めたり、髪を敢えて整えずにバイト先に行ったりする。1日の中で出来ていることと出来てないことが乱立しているのが無理で、なにかが出来なかったら全部ダメな方向に整えたいみたいな気持ちになる。
最近ストリートファイターをずっと本気でやってて、三ヶ月くらいかけてやっと上のランクに行けたんだけど、なんか突然上手くなることってないなって本当に思った。当たり前だし、頭では分かってたことだけど、実際に体験すると心からそう思う。本当になにかが変わる瞬間ってジワジワ毒のように効いてきてそれが一定のラインを超えた瞬間に表にでる。ストリートファイターだったらプレイにでるし、この現実世界だったら面構えとか。出来たり出来なかったりぐっちゃぐちゃなまま少しずつ進めていくのが1番よさそうということを今になって初めて知った。というか納得することができた。「上達する」ということに関しては、取り組むジャンルなど関係ない。お笑いもストリートファイターも僕は全く同じ取り組み方をしている。なんならゲームで得た経験をお笑いの方に持って行くことの方が多い。
11月3日
昨日は気合いを入れて部屋の掃除をして今日もまたその続きをする予定だ。部屋の中にある気に入らないものをどんどん捨てて行こうと思う。ダサいな~とか、違和感あるな~と感じるモノは生活から切り離すべきだと思う。影響を受ける。
夜は松屋に行って牛丼の大盛りを食べた。買った時に食券が二枚出てきて、領収書的なのあったっけ?となんとなく思っていたけど、ちゃんと見たら牛丼大盛り二杯を注文してしまっていて焦る。ベガのサイコクラッシャーのような勢いで店員さんに謝りに行って許してもらう。許してもらえてよかった。本来定食に使うものなのかよく分からないけど、テーブルの脇にある甘口ソースを「海かっ!」ってくらいぶっかけて食べる。美味いか美味くないの判断が「味がどれくらいするか?」ということでしかできない。濃ければ濃い程美味い。濃さに天井があることが最近分かって、そこに到達すると気絶しそうになる。
寝るタイミングが養成所が終わってから掴めないでいる。
10時~13時 就寝
13時~18時 活動
18時~19時 就寝
19時~2時 活動
2時~ 4時 就寝
4時→→現在に至るって感じだ。
多分ここから夜まで眠らないんだと思う。自分の適切な睡眠時間が分からない。平気なんだから平気なんだと思うけど。同期や友人からいつか突然死ぬと言われて少し気になる。一生生きる。
自分が見たいものを作るってなんでこんなに難しいんだろうか。あるのにな~。油断すると見たことがある形に流れそうになる。ぐち山が「フリがおもろかったら?」と言ったのが忘れられない。確かにそういった当たり前の配置みたいな部分を当たり前として、諦めていたのかもしれない。言語に縛られないようにしたい。言語を超えるために言語を使用するって感じ。言葉は再現性を高めるためにあるんじゃね?みたいなことを最近思う。
器用な立ち回りをする人の「立ち回りそのもの」が評価されている感じなんなんだろ。回り過ぎてる。受け取る方も「狙いがバレててもOK!」みたいな。血だらけのやつがいい、渇いてないとおもんない、魂込もったやつじゃないと身体が反応できない。上手さとか技術を表立って説明する人が増えてきたけど、そんなものはどうだっていい。みたいな感じのモードになってる。
今日はこれからトイレ掃除をして、靴を洗って、喫茶店に行って、ジャッジアイズ後半戦をやって、スト6やったりする。そういえばウメさんが初心者が丁寧さを心掛けると「なにもしない」という行動を取ることになる。そして強い行動を取っている人達のことを「荒らしてる」という風に言うのだけど、強い行動を取ってる側の人間からしたら「なにもしてないやつ」にしかならない。なにをしてもいいってことを一回知るべき。みたいなことを言っていて、お笑いでも全く同じことが言えるなと感心した。
勝負ごとにはどうしてもセオリーが発生してしまうし、それに沿わなければそもそも相手にされない部分がある。当たり前の配置みたいな部分を当たり前としてしまう理由はそこら辺が原因だ。そのぎりぎりを精一杯狙う。なぜこれに出るのか、どういうつもりで挑むのか、みたいなことが毎回決まっていないとブレる。ウケても全く意味がない。
なににおいてもそうだけど「なんでそれをしているんですか?」と聞いた時に答えられないのって結構やばいと思う。なぜ牛丼の大盛りを食べているのか分かりません、っておっかねえよ。牛丼が不味そう。答えられた方がいい。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。