雑記 2022/08/06
何十年間もずっとお笑いのことだけを考えてきたんだろうなあ、という芸人さんが何人かいる。間違いなく自分も影響を受けているし、彼らは間違いなくおもしろい。
この人達は同じ道を辿る。歳を重ねてから世間一般にとって常識だったことに初めて触れ始め、それを新鮮に思うようになる。逆走しだすのである。
最近ふと気づいたことがある。
彼らはコント中に芸人として完璧な立ち振る舞いをする。足りないところがあるとするならば、足りないところがないというところだ。おじさんとしての「隙」がない。これを俺は勿体ないことだと最近思うようになった。
そうならないために俺はどうすればいいのかというと「テキトーな部分」を自分の中に持てばいいのであ~る。
そして人生に起きる全てのできごとを「お笑いに落とし込む」ということを放棄しようと思う。そこに豊かさを僕は感じない。
普通に生活しながら笑えることを探す(これは書くということも含む)というのが一番いいのではないだろうか。お笑いは笑ってくれる人と笑わせてる側の生活が地続きに繋がっていなくてはおかしい。だって見ている人達も、家族や恋人、友人の前で笑いを取っている訳だから。いやなんかうまいこと書けないけど、とにかく同じく生活しているということがここでは言いたいのだと思う。俺も君も同じだ。今年はあと50本くらいコントを書く。
ネタは自分が持つ可能性をいつも可視化してくれるから助かる。
少しお高めなケーキ屋さんにいったら、ジョギング途中に寄ったと思われる中年男性二人がケーキを注文していた。店員さんがガトーショコラを取り出している最中に片方の男が屈伸を二回した。それが本当に不快で不快で仕方がなかった。赤信号の時の横断歩道でよく見る光景。
甘くてファンタジーな空間を、運動が持つ現実的な正しさのようなもので支配されたような気分だった。イッツアスモールワールドの中にルームランナーで走っている汗だくのおっさんがいない理由とはなんだ。
なんか本当に「健康」に対する意識の向き方が病的というか、なんだろう、もう考えることをとうに辞めてしまっていて「運動」を「するべきこと」としてしまったのではないだろうか。
だからあの時、膝を曲げたり伸ばしたりする中年男性を見て、僕は虫を思い出したんだろう。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。