「人助けをしているひとを、盗撮した動画」でエモくなってる残酷な人達へ
工事現場で働いているおじさん二人が月を見上げている写真、それと共に素敵風な文章を添えたツイートがバスっていたのを見た。
リプライを見ていると殆どの人が所謂「エモい」みたいなことを言っていて、なんて残酷なのだろうと思った。
宅配中の男性がおばあさんを助けている動画をツイートして「優しい世界」みたいな言葉がぶら下がっているのを見た時も全く同じ気持ちになった。
俺はこれのなにが不快なのだろうかと考えたところ、主観で生きている他人を、全く影響を受けない距離から俯瞰で見ては(精神的にも)、あたかも自分が主人公である物語の些細な登場人物の一人ようにその人を描いているという点にあった。つまり空虚であるということだ。
例えば自分が工事現場で働いているおじさんだったとして、なんとなく月を見ているところを盗撮され、その場でエモく仕上げられ世界中に拡散されたら、俺は怒鳴りつけてそいつのスマホをその場で叩き割ると思う。
他人の人生を「いい感じに描く」、自分が気持ちよくなるための「日常」として切り取ることが如何に残酷か、今一度考える必要がある。
バイト先は丘の高いところにあって、満月の日は綺麗に見える。俺はレジからよく見ている。「月見ているんですか?」と知らない人間に声をかけられたとして「そうなんすよ!めっちゃ綺麗じゃないですか?」という日と「は?誰お前?」と言う日があると思う。そんなものはコンディションによる。
「月を見上げているコンビニ店員さん。声を掛けたら「は?誰お前?」と言われた」の方が俺的には「エモい」と思う。
人に話し掛けるということは、その人の世界観とぶつかってしまうことだから、知らない人である程リスクが高い。
似たような話かどうか分からないけど、この前バイト先で前を歩ている女の人のリュックがめっちゃ開いていて俺はそれがとても気になっていた。
意を決して「あのすいません。リュックめっちゃ開いています。」というと「どこのリュックですか?大きい口?小さい口?」とその人は返した。
普通「あ、ありがとうございます。」とかで終わるはずなのに、その人は逆に質問をしてきて、すげえいいなあ。と思った。
すげえいいなあと思ったので、その人が自分が打っているレジに来た時に「数週間前のあの返しめっちゃ良かったです」と話した。
笑ってくれてよかった。
リュックが開いているのを見ているだけではなにも始まりはしない。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。