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養成所卒業しました!みんな愛してるぜ~~

ワタナベの養成所を昨日卒業した。凄まじいスピードで過ぎていったわけなんだけど、終わったという感触がない。いいともが最終回を迎えて、増刊号が放送されなかった日曜日もまだ実感できてなかったときのことを思い出す。
バイトと養成所の嚙み合わせが逆に上手くいきすぎていて、毎日朝2時間寝てネタ書いてそのまま養成所、帰宅して1時間寝てバイト、の日々で、働きながら無理、もたない、死ぬ、と、思って、レジ打ったまま寝たり、帰りに自転車漕ぎながら寝落ちしかけたり、素手で寿命を鷲掴みにしてなにかへ支払ってる感覚がずっとあった。養成所いってなかったら、1ヶ月くらいは長生きできたと思う。でも支払った価値はあったと思う。

養成所に入る直前までの数年はお笑いが全く見れなくなっていて、もう好きじゃないんじゃないかなと思っていた。むしろ嫌いだったかも。でも去年コンビが活動停止した瞬間に養成所に入ろうとは速攻思った。どうすんの?ピンで通用すんの?誰にも届かないんじゃない?って気持ちを抱えたまま入った。
色々な人間がいたけど「お笑いに自分の365日を捧げよう」って思った人達が集まっていることだけは確かで、その部分で繋がれたことが心から嬉しかった。これまで自分はこの部分に関してはずっと一人だったのかもしれない。「好き」で繋がれるって健全でハッピー。気づいたらまたお笑いが見れるようになっていて、お笑いが死ぬほど好きすぎることに気が付くことができた。それが一番入ってよかったな、って思ってることかも。

養成所のライブに向かって毎週毎週ネタ見せして、ライブが終わったらまたネタ見せしてを繰り返した。
水曜日にできていなかったことが、金曜日のネタ見せではできるようになっている人達を何十回も見た。そのできるようになってる瞬間を目の前で目撃する度に、俺は心臓を貫かれたように気持ちになっていた。机の前で書いてたり、鏡の前で練習している、あまりにも純度の高い絶対に誰にも否定できないそいつらの時間がダイレクトに流れてくる。そういうものに触れた時って、自分でも普段気付けない心のどっかにある穢れのない部分がめっちゃ反応する。そのときの感触を逃がさないように抱きしめてる。この気持ちが自分の中にある限りやってけるって、思えるから。

卒業式後にあった飲み会の締めの言葉みたいのを自分がやらせてもらったんだけど、あとから送らてきた動画を見たら酔っぱらった自分が「マジで生きよう。マジで。マジで生きよう」って言ってて大分やばい時の自分の感じだったんだけど、合ってるよ。
家族と過ごしたり、デートしたり、美味しいもの食べたりして満たされるならそれを真っ当すべきだと思う。石を投げることが死ぬほどハッピーなら、それを本気でやればいいと思う。誰に何を言われようと、例えそれが世の中から全く求められてないことだとしても、自分はこれでしか満たされないってものがあるなら、それを自らの意志で選択し続けて生きることが「マジで生きる」ってことだと思う。才能とかじゃないから。

この先続ける、続けない関係なく、この1年間お笑いを選択し続けたみんなといれて幸せでした。
ありがとう。普通に愛してるぜ。

落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。