「トランプちんすこう(32個入)」への考察
病院内の売店でバイトしている。お友達である受付のキュートな女の子が沖縄に行くと言っていた。
彼女のいるカウンターで防護シート越しに「お土産買ってきますね!」「やった~!」というやり取りをした。その場を去って二十秒程してから「やった~!てのは幾らか図々しかったのではないか?親しき中にも礼儀あり。そうゆうところちゃんとしていきたい。誰にでもタメ口だからこそ、そこの軸をぶらしてはいけない二十八歳なんじゃないのか?」と考えている内に一分は経っていて、急に方向転換をし彼女の元へと戻って「あ、無理はしないでね!」と言った。その瞬間彼女の顔が強張った気がした。この類の自分の中だけで完結してしまっている異常な気遣い(相手からすれば気遣いにすらなっていない)を他人に振りかざし「関わってはいけない人認定」されてしまうことが数え切れない程ある。俺は一切他者と会話をしていない。いつも一人。相手を壁だと思っている傾向がある。治さねばならない。
そして今日沖縄から帰って来た彼女が遠くから駆け寄ってきて「ちょっと待っててください。」と言われた。
僕は発熱外来の少し隣の人目のつかないスペースで突っ立っていた。
完全にお土産をもらうことは分かっていたのだけど、当然のような顔をして頂くのもおかしな話だし、かと言って「え?お土産?」みたいな反応を見せるもの白々しくてどうすればいいのだろうかと考えた。
それにしても「女子がなにかを持ってくるのを待つ時間」というのを体験したのはいつ振りだろうか。毎日脳からあの類の物質が出ていれば、死の間際、自分の人生を振り返った時に「幸せでした」と言えるに違いない。
あの物質は「パチンコで右打ちしている時」「APEXで敵をキルした時」「笑いを取った時」「文章を褒められた時」「人から認めらた時」「美味しいご飯を食べた時(主にマック)」などに出る。どれも等しく同じ種類のものが出る。となれば重要なのは過程で、なにを基準にするかというと「金になるかどうか」である。
「女子がなにかを持ってくるの」を人目のつかないスペースで死の直前まで、向こう五十年待ったとしても俺は幸せではあるのだが、同時に大勢の人を不幸にしてしまうと思う。親の死に目にも会えないし、というかいつ死んだかのかすら分からない。なぜなら人目のつかないスペースにずっといるから。ネタも作れない、文章も書けないとなると応援してくれている人達を裏切ることにもなる。これではいけない。そう考えるとやはり「金を生むかどうか」を基準にして、どのルートであの興奮にたどり着くのが正しいか、と思考するのが筋かと思う。となると今のところお笑いと文章しかないのである。だから俺は今こうしてなにかしらを期待しながら書いている。というか書くというそのもの行為中にもあれは出ているのだけど、みたいなことを考えていたら彼女が小走りでこちらへと戻ってきた。
結局「なにをもらえるのか見当もつかない」という顔をすることにした。
「お土産で~す!」と言った彼女が手渡してきたものはハートの形をしたちんすこうであった。
「え、ハートじゃん」って言うか悩んで辞めた。
店に戻ってから、ちんすこうが「ハート」の形をしていることにどれくらいの意味があるのだろうかと真剣に考えていた。ずっと考えていた。
彼女の同僚達がもらったお土産もハートの形をしていたのだろうか。
このお土産の商品名が、トランプの「ダイヤ」「ハート」「クローバー」「スぺード」の形をしたちんすこうがアソートタイプで入っている「トランプちんすこう(32個入)」の可能性はないだろうか。彼女が「ちょっと待っててください」と言って戻ってくるまでに一分二十秒はあった。あの一分二十秒は様々な形を搔き分けハートを見つけ出すまでの時間だと考えるとかなり現実味を帯びてくる
もちろん全32個のちんすこうが「ハート」の形をしている可能性もある。正直「全てがハート型のちんすこう」ってなんやねんとは思う。でもある。
そうなれば「ハートの形」に意味はないということになるだろうか?いやならない。むしろ最も意味がある。
まずこの「ハート型のちんすこう」の実態を僕は全く掴めていない。個包装なのかアソートタイプのものなのか、分からないのである。
彼女はこの駆け引きに、駆け引きが行われているとしたら、この時点で勝っているのである。その証拠にちんすこうがハートの形をしているということだけで、1800文字書いてしまっている。奥行きがありすぎるのだ。
今思い返せば彼女が「ハート型のちんすこう」を僕に手渡す時、両手で「ハート型のちんすこう」を持ち、一度それを自分の心臓付近に置いてから僕に向かって真っ直ぐ差し出してきたような気がする。動作によって「ハート型のちんすこう」にLOVE的な意味付けをしたとも考えられる。
こうして2000文字程つらつらと述べてはいるが「皆さんに渡しているものです」という僅か13文字で、俺は終わってしまうのである。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。