日記 7/24
去年のM-1、キングオブコント、今年のキングオブコントは、全て人前で一度も披露したことがない新ネタをやっている。先週一回戦が終わって気が付いたのは、本番直前までに感じる緊張の理由が「ウケるかどうか分からない」であり、それはどっかで事前にネタをやっていれば全て解決するのではないかということだ。当たり前すぎてびっくりした。今年はたくさんのライブに出ようと思う。楽しいし。
普段とは違う集中具合でなにかに取り組んでいる期間が断片的にある。過度な集中力を発揮するためには、「期間が設けられている」ということが条件となっていることが去年くらいに分かった。自分の脳は普段からなにかしらの不安を感じること(探し出すこと)が好きなようで、不安の種を発見したらすぐにそれを頭の中で映像化することをやる。そこにリアリティを付け加え(現実的に起こりうる範囲で留める)頭からケツまで一応の流れができたら、目を閉じてもう一度自分でそれを見て自分の感情を刺激する、という阿呆みたいなことを昔からやっている。それを昔からやっていることに最近気が付いた。それまでは知らなかった。そしてその時の脳の働きがネタを作っている時と全く同じ過程であることも半年前くらいに分かった。
この「不安を探し出し映像化しそれを見る」という行為がヤバイのは、不安を体感してしまうという点にある。現実で起きていることではないのにも関わらず、事実として不安を感じてしまうので、現実を生きている俺の中に確かな不安が残ってしまうのだ。
これは「ネタを作っていない」時に起こる。過度な集中をしている期間が終わった途端、少し精神的にゆったりとした時に「不安の映像」が頭の中で湧き出てくる。その不安を取り払う方法はたった一つで「過度な集中」をすることである。この繰り返しをずっと行っているということに、さっき気が付いてこうしてnoteにメモ?している。
漠然とした非現実的な不安に打ち勝つたった一つの方法が、自分は「作業する」だとしたら、なんてラッキーな人間なんだろうと思った。
めっちゃ嫌いな言葉だからあまり使いたくないけど「クリエイティブ」という言葉をみんななんとなくで使いすぎだと思う。多用している人ほど、それがなんなのかを全く理解できていないし、そもそも理解とかそういった類の範疇を超えているものだと考えているのではないかと思う。
最近なんとなく思うのは、それは確実に自分が意識的に選択できるものであるし、というか選択できるように自分をそこに持って行くことを自覚的にすることは可能なのではないかということ。自分に起きていることは絶えずこうして記録していこうと思う。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。