2021/12/27 よれたメンタル
結局のところ誰の話を聞いても、みんな正しいといったような結論になる。できるだけ客観的な判断を心掛けたら、そうなる。
だからいつまでたっても結論はでない。
俺は全員に「それでいいんじゃない?」と言ってしまうような人間である。
正しさを一つに絞らなくてはいけないとするのなら、それは自分の価値観に沿って決めるということになる。
ここら辺のことでずっと頭を悩ませている。
来月はめちゃくちゃ忙しくなる。作らなくてはいけないものがいっぱいで、そのどれもがワクワクするようなことで、自分にとっては夢みたいな月になると思う。
忙殺されることを望んでいる。暇があると不必要なことで頭が空回転してしまい、エネルギーだけを消耗してしまう。
これまで俺は、なにか嫌なことがあったときは真っ向からそれと向き合うといことを必ずやってきた。どんな些細なくだらないことでも最後まで考え抜いてきた自信がある。向き合わなければ嘘だと思っていたからだ。
でも最近ポジティブやネガティブというものの中に「本質的」なことは存在していないのではないか、というようなことをふと思って、「事実」に対する目線大喜利のようなものに過ぎないと考えた結果、無駄だと思うことを頭の中で切り捨てることに成功した。
それをどう捉えるかということより、最終的に自分をどこに持って行きたいを想定し、それに応じでポジティブやネガティブを使い分けるということを現在試している。今のところ殆どのことに対して「ネガティブ」は必要がないという結果になっている。
僕が今すべきことが「やる」以外にないので、そういう結論になっただけなのかもしれない。
「自分の感情を歪ませ、悲しいことも楽しい方向に向ける」といったような不自然な作用を自分に起こそうとすると、どうしようもなく苛ついていたのだけれど、そうじゃなくて、しんどい状態の時に物事を判断してもしんどい答えしかでない、つまり正しさとはかけ離れた解答しかでないと考えるとすれば、一時的な思考停止を自覚的に引き起こすことも大切なのではないかと思えてきた。
最近は手綱を完全に俺が握れている感じがする。
よれたメンタルをぶち殺したい。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。