さいなら、2021年!!
今年の一月だったかなんだかにコロナウイルスという存在を知った時、へ~こわ、くらいに思っていて、日本でも感染者が増えていくにつれ世の中がそれに適応してくのを見ながら本当にこんなことってあるのだなと思った。
マスクをしないで外に出ていた過去に驚きを感じるようになってしまっているし、他にも昔の映画を見ている時に大勢の群衆が出てくるシーンなどを見ると無意識下で一瞬「あ、大丈夫かな」と思ったりすることもある。慣れるというのは、思考を止めるということで、人間の適応能力の高さに驚きつつも俺は呆れてもいる。
コロナウイルスに対してどこまで神経質になっていいか分からない。それは他人に対してもだ。鬱陶しい。俺は手洗いうがいアルコールマスク以外のことはしない。それ以上のことをすると生活が蝕まれていく。
ネットなどで真偽不明の情報を見て不安に陥っている人を見ると、この人達は絶対に明日は生きている自信があるのだなと思う。不思議だ。
俺は自分が明日以降死ぬかもしれないと、何故今日死なないと思えるのかは分からないが、怖くなるときが多々ある。自分がいつ死ぬかはその時が来るまで不明で、今流れている時間に対して真っ当な態度を取ろうと考えると、あまり先のことで不安になろうとは思えない。線引きが必要だと最近は考えている。
2020年の5月に家族が緊急事態に陥って、自分の人生が進んでいるということを思い出した。コロナに気を取られて、生活をしているということを忘れていた。
自分の意志で選択しなくてはならないと強く思える年だった。
ポジティブとかネガティブというのは俺のフィルターのことで、実際の͡コトやモノとは別なのではないかと最近ふと思った。
何をどう捉えるかに力を入れすぎると、結局俺の問題でしかなくなっていく感覚がある。
今年は「とうそう」という小説を書いて文藝かなんかに送った。
小説を書いていると登場人物達がネガティブな行動や発言をするようになる。それは俺が本来そういった人間だからなのか、はたまた、単純にその方が文字数が稼げたり、「本質的な感じ」がするという理由からなのか。
ただ圧倒的に強い人間とかフィジカルな人を書こうとすると、4000文字で書いていたことを100文字で終わらせることができる。
俺は最近その100文字の方に嘘偽りのないなにかを感じる。
最近手書きでまた小説を書き始めた。期限は設けてない。
今年はプールサイドの活動を11月から活発にできた。
5本の映像を出せた。来年もやるべきことをばりばりやる。
あと来年はnoteでまた日記を書こうと思う。自分のためだけのやつ。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。