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ノーミーツについて。

先日「あの夜を覚えてる」の千穐楽が終了した。
僕がパンフレットの制作に加わったのは去年の十二月で、短い期間ではあるけどそこからノーミーツの人達を近くで見ていたから、最後は本当に画面の前でガッツポーズした。一回目の公演でもしたけど。
一回目の公演後に話題になって、それからどんどん「あの夜」が大きくなっていくのを見て嬉しく思った。ノーミーツのみんながかましているということが爽快に思えたからだ。

僕は現在プールサイドとくらいくらい公園という団体に所属している。「チームでなにか一つのものを目指す」ということの難しさを痛いほど分かっているつもりだ。
だからこそノーミーツにめっちゃくらった。
なにがすごいかと言うとめちゃくちゃシンプルで各々が「自分で決めている」という点にある。
「どうして自分はこれをやるのか。ここにいるのか。」みたいな迷ってる人がいないし、各々が独立した専門性を保っていながらも、個々人のバラバラ円がちょうど重なった部分にバイブスみたいなものがあって、それが「あの夜」の公演にも滲み出ていたと思う。人の心を打つ作品ってのは、やっぱり人が心血注いでないとダメなんだと分かった。そういった意味では、彼/彼女達は血だらけだった。

ノーミーツがはめっちゃピュアだ。ほんとに。ものすごい奇跡だと思う。こんなにデカい規模でやっているのにも関わらず、なにかが形になるごとに、小さな段階を踏んでいく度に全員がチャットなどで「おおお~~!!!」と盛り上がっていて、すげえって思った。本当にいい意味で、文化祭を思い出した。
利益とか、もちろん色々あるけど、それより手前にもっと「おもしろいからやろう」っていう初期衝動みたいなものを全員がちゃんと持っているし、だからこそあんなぶっ飛んだ生配信ができたんだと思う。創作に対する当然の姿勢ってのを思い出した。
ノーミーツのみんなが自分の案に対して「いいっすね~~」って言ってくれた時、この言葉は嘘じゃねえって思った。
初めての外部の人達との仕事がノーミーツで本当によかったと思う。

みんな年も近くて背筋が伸びる思いもしたし、ぶっちゃけ公演を見たあと俺は少し怒っていた。自分も映像コントを作ってるから、あんまりにも凄くて、悔しかった。
同じ世代の人達が、なんだろ、こうドーンと一つのシーンにぶちかましているのがかっこよかったし、それが爽快だっだ。
「ラジオ」をテーマにするってのは本当にハードルが高い。100人いたら100通りの「ラジオ像」がある。多くの人を納得させたのは、ノーミーツの熱量によるものだと断言できる。

なんか冗談抜きであの二か月間を振り返ると、すごい青春を感じる。
今はちょっと寂しい気分。
力を付けたら、またどこかで。

二週年おめ。



落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。