「どっちが好き?」という質問についてもう一度考え直す必要がある
今日母親と、海と山に行った。
我々は疲れている。理由は自己破産してさらに婚約者が十年浮気をしていて、さらにその人が病気になり言語障害と半身麻痺を起こしてしまったからである。
話は若干それるけど、Twitterでめちゃくちゃ嫌いな自己顕示系の人が「他人に期待しないことで疲れないで生活できる」みたいなツイートをしていて、それに何万いいねもついているのを発見した。
ツイートしてる人より、これに「いいね」した数万人の方が終わってる。
「他人に期待しない人生」を送るな。面識のない赤の他人に「頑張らなくていい」みたいなことを言ってる連中は全員が詐欺師だ。無責任に他人の痛みによく効く風のお薬をだしてるだけ。
現実を見ろ、それしかない。
そんなことはどうでもよくて、海岸沿いを車で走っている時に
「海と山どっちが好き?」と母親に聞かれた。
よく考えらどちらも好きだったので閉口していたら「どっちとかないか」と彼女は言った。そう「どっち」とかない。
この「どっちが好き?」みたいな質問をこの世から無くしたい。
めちゃめちゃイライラする。
母親だったから閉口できたが、他の人から聞かれた場合に「どっちも好き」という回答は基本的にシラケる傾向にある。
与えられたお題に対して本気で考えるつもりがない、おもしろくない、なによりも「会話が広がらない」と思われてしまう可能性があるので、この質問をされた時に「どちらかの一方」を答えなくてはならないのである。
つまりこの「どっちが好き?」という質問は、その場の会話を広げるために使用されることが多い。「どちらが好き」か決めなくてはならないのは、会話の性質上の問題だということだ。
めちゃめちゃ当たり前のことなんだけど、俺はなんかそのことを今日まで忘れていて「どっちか決めなくてはならない」となんとなく思っていた気がする。
このように会話の性質上ひねり出さなければならない「発言」「思考」が、会話の外、つまり普段の思考にも影響されているのではないかと考えると、少し不快な気分になった。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。