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上手く笑えてしまう側の悩み

「人前で上手に笑うことができない」とか「愛想よくできない」とか、そういった類の悩みはよく見かけるが、その逆の「誰の前でも上手に笑える人」が抱える悩みのようなものはあまり見かけない。
こんなことを書いたら反感を買ってしまうかもしれないが、僕は昔から「人前で上手に笑うことができない人」に憧れの気持ちを抱いている。
本当におもしろいと思ったのに上手く笑えない場合はしんどそうだとは思うが、いわゆる「世間話で笑えない」とかコミュニケーションを円滑にするための「会話」や「笑顔」が上手くできないという話を聞くと、それでいいじゃんと思う。おもしろくないなら笑わないでいいよ。

できる場合は加減が生じるので難しい。僕はフォーマルな会話が必要とされる場面でいつも、笑うか笑わないか、振舞うか否かの選択を突きつけられている感覚がある。そんなの普通に上手くやればいいじゃん、と思われるかもしれないが「愛想笑い」をすると、その日の帰り道とかに心が廃れていっていることに気が付く。魂を売っている感覚がある。
世間話の目的は内容でなく、お互いに間を埋めるための共同作業であることはとうに分かっている。

自分は割とこれまで「接しにくい人」を演じていた。「話しやすい人」だと思われることが嫌で嫌で仕方がなかったのである。なんかアホみたいで。
僕がそうなってしまったのは家庭環境のせいだと思う。家族が上手くいっていないと、子供は両親の関係性をよく「見る」ようになる。そして、自分が中心になれるポジションであることを自覚して、明るく振舞ったりわざとわがままを言ったりして、家庭内の空気をコントロールする。後天的に身に着けたその技術は、学校でも会社でもどこでも使うことができて、そのおかげで人間関係に困ったりしたことはこれまで一度もないのだけど「やっぱり俺は嘘すぎるな」と落ち込むのである。今書いていることも、人前で振舞う自分も全て本当だから余計に困る。

昨日ふと、できるならやったらよくない?と思った。自分と接した人が楽しい気持ちになるならそれは最高じゃない?幸いそういった職業でお金を稼ごうとしているんだし、という結論に至った。突然。
すんげえ楽になった。ナイス俺。

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