「お健康診断」
昨日。「健康診断」って健康であることが前提とされすぎてない?という話を帰り道にバイト先のおばちゃんとした。
「健康」を「診断」するんだよ?人間は誰もみなどこか不健康だよね?そう思います。健康であることが前提とされるってしんどくない?たしかに、それだったらなんて呼び方がいいかな?不健康診断とか?それはお笑いで言うところの「すべるライブ」みたいな感じでいやじゃない?え?ウケたいじゃん、一応健康でありたいという、気持ちで臨みたいじゃん。なにごとも。はい。あのさ、「笑い」とさ「お笑い」ってあるじゃん?あれさ「笑いライブ」だったらなんかハードル高くない?ああ、そうですかねね。高いよ、なんか必ず笑えるライブみたいじゃん。でも「お笑い」と呼ぶことで、なんかそのハードルがフワッとするんだよね。それは「笑い」に「お」を付けて「お笑い」とすることで、笑うも笑わないもの含めた、芸人に纏わる全ての総称になるからだと思うんだよね。だから「健康診断」にも「お」を付けたらいいと思う。「お健康診断」ってことですか?そう。お健康診断。お健康判定D。なんか可愛くてよくない?たしかに。
という会話をした。
今朝は早めに起きた。尿を取るから。毎回白い箱を上手ずに作ることができない。おにぎりもそう。①②③の順番でラベルをめくっているのに必ず素手で白飯を掴む羽目になる。白飯から離れたラベル状の海苔がほぼゴミに見える。虚しい。ほんとはそんなに虚しくない。結局毎年のように両手が小便まみれになり、シャワーを浴びる。シャワーを浴びることになることを知っていたから、今朝は早く起きたのだ。
この話をスタッフ全員にしたら、ウケたりウケなかったりした。
ぐち山がおすすめしてくれた「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を読んだ。最近は人がおすすめしてくれたものは見るようにしている。その人のことが分かったりするのが不思議だ。どうして山口慎太郎がこの小説が好きかもよく分かった。LINEで感想を言い合う。俺たちは七森君や麦子ちゃんのようにいられてると思う。
生きるために、金を稼ぐために、笑いたくないことで笑ったり、人の顔を伺ったりしなければならないことが悲しい。これは本当に。そうしたくてしてる訳じゃない。選択するためにはまずお金が必要になる。でもお金がなくても選べる。いつだって選択できることを、忘れないようにしよう。
そうしたいから、そうしているんでしょう?と言われた時に胸を張って、はい、と言えるように。そうじゃなくてもいいしね。
幸せな時間が流れている時、よく誰かが死ぬことを考える。そうやってバランスを取る。不幸でいると落ち着く。苦い現実の中で息をしていると、罪悪感が薄まる。
幸福を受け取る覚悟があるか??と山口慎太郎に言われて、目が覚めた。ある。俺はある。もうバランスは取らない。俺や君や、君が愛している人は、いつまでも消えない。そう信じている。その方が難しい。シャムキャッツの「マイガール」という曲の歌詞の中にある「ニヒルなやつはいいね。楽しそうにしているさ」の意味がようやく分かった。
ナイスな「お人生」を送ろう。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。