見出し画像

自意識のSHOW開幕!!かっけえ男はフードを深く被れの巻。

病院内にある売店でバイトをしている。
病院から駅までは一通で、出勤/退勤する看護師さん達と同じ道を歩くことになる。
昨日の帰り道、前方にレジでいつも喋る看護師さん二人が歩いているのを発見した。レジでは喋るけど、例えば院内ですれ違う時は会釈程度くらいの関係値である。
ちなみに近々で話した会話は「プリッツ俺もさっき食べました」「たまに食べたくなりますよね」だ。

俺は毎回前方に知り合いの看護師さんが歩いていると、追い抜きたくなる。
自分は気が付いていなくて(気が付いていないフリ)、向こうだけが「あ、いつも緩くカーディガン着てる、一人だけ腰巻エプロンしていない(しろよ)、なんか普段は創作とかそっちの方やってそうな感じの、イケてるコンビニ店員さんだ!」と俺の後ろ姿を見て思って欲しいという魂胆である。
ので、追い抜いた瞬間に俺は「後ろ姿だけでどれだけカッコよくいれるか」のバトルをすることになる。

昨日はまず二人を右側から追い抜く瞬間に、すこし左の方を向くというのをやった。顔を認識してもらうためのテクニックである。
向こうが自分に気が付いたかどうかを確認する手段はないので(目が合ったら終わりだから)、この時大事なのは「完全に俺に気が付いた!!」と強く信じる気持ちだ。

そしてまずポッケに手を入れるかどうか、という選択が始まる。
二十八歳なのでもうそこら辺のことは分かっているつもりだ。俺は入れない。それでカッコいいのは二十七歳まで。
問題はダウンのフードを被るかどうかである。これはかなり悩んだ。基本的にフードは深く被った方がかっこいい。これだけは間違いない。
でも追い抜いた後にフードを被ったら、「あ、私達に気が付いてフードを被ったのかなあれ?」「そうじゃない(笑)」「ウケるね(笑)」「うん、大人なのにね(笑)」となってしまう可能性がある。だったら、追い抜く前にフード被っておけばよかったのに、と思われる方もいらっしゃるだろうが、それだと「右側を追い抜く時にやる左の方を向く」ができない。フードは深く被ってしまうと顔が見えなくなってしまうからである。
俺はフードを被ることを辞める、という英断をした。

次はイヤホンをした。そしてスマホを取り出し曲をかけた。
昨日は宇多田ヒカルの「君に夢中」を聞いた。ほんとに好きな曲。

で俺はこれを聞きながら「ズンダッ、ズンダッ、ズダダダダ、Everything I do makes it obvious、ズンダ、ズンダ」みたなことを小声で言うのである。言うようにしているのである。なんか音楽的ななにかをやっている人だと思われたい節が俺は昔からあるみたいで、こうゆうことをやってしまうようだ。
「あれ?あのコンビニ店員さん宇多田ヒカルのビートメイクに少し携わってるくない?」と思われたいのである。

途中誰かが書いた「絵画」が飾られている通りがある。
展示会が近くでやっているらしく、それの宣伝としていくつか飾っているのだと思われる。絶対にたいした絵ではないし普通によくないので、みんな通り過ぎていくのだが、俺はそこで立ち止まる。そこで立ち止まりこのタイミングでポケットに手を入れる。そして「分かる。分かるよ。根底から湧き出る作者の言いたいことが。そしてなによりもおもしろい。これはおもしろい絵だ。上手い、下手、良い、悪い、とかじゃなくて、おもしろい絵だなあ。」と言った表情で見つめるのである。
そしてその絵画に反射した彼女達が僕の背後を通り抜けるのを確認し、俺はいつまでこんなことをやっているんだと、落胆する訳である。

もうネタとか発言でも、この自意識の角度を突くお笑いはやる気にならない。これもう古いの。俺は分かってるの。だから絶対に普段はやらないの。
それなのに「地」がガチで中学生で止まってしまっているから、ほんとに自分一人だけの時に「もういいよ!!!」ってくらいにくだらない自意識が芽生えてしまう。そしてそれを自覚している時点で「つまらない」からほんとに終わってしまっている。俺にはなにかこのくだらないと思っている「自意識」を手放したくない理由でもあるのだろうか。

落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。