「君たちはどう生きるか(ネタバレ有り)」と「吉田豪×コンバットREC×水野しずの “君たちはどう生きるか”」への感想
「君たちはどう生きるか」を見た。そして昨日「吉田豪×コンバットREC×水野しずの “君たちはどう生きるか”」を見て、色々思ったので書いていこうと思う。
「君たちはどう生きるか」は解釈のしようがいくらでもあって、一つの正解を求めてみんなで議論するのではなく、「私の「君たちはどう生きるか」はこうです」と発表していくのが正しいと思う。
というか宮崎駿がやったこともまさに「私の「君たちはどう生きるか」はこうです」」だったのではないだろうか。
RECさんが冒頭の方で「下地がしっかり出来ている訳でもなく、何を書いているか本人すら分かっていないのに、そこに対して言及していくことに意味があるのか」的なことを言っていた記憶があるのだけど、多分これを言ってしまうとこの映画に対して話せることは「ない」のではないかと思う。
我々がこのイベントで聞きたかった話と、水野しずさんが話したかったことは恐らく一致していたのだけど、蓋を開いてみたら「そうゆう感じゃなかった」って感じがした。めっちゃおもしろい配信だったのは確かだけど。
本人がなにを書いているか分からないってのは結構最高な状態だと僕は思う。それは宮崎駿の潜在意識がこの映画にドバドバ詰め込まれているってことだ。水野しずさんが途中「作っている人にしか分からない、泉が溢れる瞬間、あ、ここ今宮崎駿ノッてる!みたいなシーンがある」みたいなことを言っていて、この角度の楽しみ方をしているかしていないかで、賛否が別れると思った。
宮崎駿はしがらみ(数字を考慮する)があった方おもしろい作品を作ると言われていたけど、そんなことは我々も本人も分かっていることで、今回は見る前から「そういうことじゃないんです」ってのは誰の目から見ても明らかだと思う。
今回は82歳の一人の男が自分のために投げる全力の球を、我々がどう受け止めるかっていうミットの構え方によって作品への印象が変わってしまうのではないだろうか。
「宮崎駿」を観に行った人は楽しめたのではないかと思う。
「眞人が異世界を捨て厳しい現実を選ぶ」シーンがめちゃめちゃよかった。いつまでも壁の中にいてもダメだよね、外が巨人だらけでもってことだ。
あの異世界がアニメや漫画のコンテンツ、創造主が作家だと考えると、「コンテンツに逃げてないで現実と向き合わないとダメだ」と言われているような気分になる。宮崎駿は自分の作品が「現実逃避をするために消費されてきた」ということを少なからず気にしていたのではないだろうか。
自分が作ってきたものを全否定している訳ではないけど、最も大切なものはフィジカルだよってことを、映画を通して伝えようとしている姿はめっちゃかっこよかった。
「また宮崎駿は書くのではないか」ってことと「今回が最後の作品」なのかどうかってことはあまりが関係がないと思う。なぜなら宮崎駿は毎回本気で「これが最後」だと思って作っているし、そう思うことを燃料としているから毎度全力を出せている。なんなら毎回どれだけ「これが最後だ」と本気で思えるかどうかは彼にとって勝負なのかもしれない。
だから実際5年後とかにまた彼が映画を作っても「君たちはどう生きるか」はなにがどうあれ今のところ「これが最後」と宮崎駿が本気で思って作った映画なのだから、そう思って見るのがいいと思う。
めっちゃツッコミどころもあるし、おもろいけど、宮崎駿が一生懸命マジで作ったところは茶化さないで見て!!ってみんなに言いたい。本気で観に行ったらちゃんと受け取れるものがある映画だと僕は思う。自分は画面から溢れる凄味みたいなのにやられて涙がでたし、めちゃ食らいました。もう世の中めちゃめちゃ終わってたりする部分もあるけど、マジで本気で生きようと改めて思った。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。