いーじー
山口慎太郎から、最近YouTubeにあげたプールサイドのネタ(コッペパンと指舐めるやつ)がよかったと言われる。俺もいいと思っている。「普段のプールサイドの映像コントってマジが伝わるじゃん。それが今の感じに合わないのかもね~」みたいなことを彼が言っていて、かなり腑に落ちた。考えていることが全て繋がるみたいな瞬間が多々ある。
最近、僕の「マジ感」ってお笑いと相性が悪すぎるのではないかということをよく考えるようになった。僕は自分の人生を生きやすくしたいと思ったことが一度もなくて、しんどくてもなんでもいいから、とにかく嘘を排除していくみたいなことを考えながら生活をしている。で今年は特にそれをこのnoteでもそうだけど人に突き付ける(突きつけるというか正確には一人で叫んでいるみたいな感じ)ことが多くて、自分的には「だってそうだよね?そうじゃないですか?」くらいのテンションではありながらも、目的は現実をぶん投げるみたいなことで書いている。反対にお笑いのネタに関していえば、そういった類の気持ちは一切ない。言いたいことも伝えたいこともない。お笑いを見る人に現実を見ることを希望も期待もしていない。
自分の中では完全に棲み分けができているのだが、見る人からしたらそうじゃない可能性がある。
ネタを通して他人になにかメッセージのようなものを伝えようとは思わないが、ネタを作る時は向き合い方に自分の人間性が出る。それはみんなが普段している仕事とかでも同じことが言えて、例えば真剣にやっているものとか、自分がすべきことに対してどのような態度を取るかって話だ。どう向き合ったかは成果(お笑いで言ったらネタ)越しにすぐに受け取った側に伝わってしまう。
この「マジな態度」が強まれば強まる程、ネタの奥から俺の血走った目が覗き込んでいるのが明確に見えるようになってくる。それが時としておもしろくなかったりすることがある。お笑いは作る時のしんどさ=血肉感のようなものが、見えてしまってはいけないのかもしれない。
最近とーやと一度論理から離れようという結論になった。多分このまま行ってもおもしろくならない、ということを二人同じタイミングで感じ取った。自分達が笑ったらオッケー!なにがおもろいかとか一旦知らん!という判定基準に変えて、作ったのが
この二本だった。超ラフに作ったネタだったから「誰も認めてくれないし、笑わない」と思っていたけど、いつもよりバイト先の人とか友達とか知らない人達から、よかった的なことを言ってもらえたのでびっくりした。
この二本の共通点はネタ中に2人とも笑ってしまっているというところだ。
お笑いについて言及することは当分ないと思ったから、最後にここに書いた。理由はウケにくくなるから。あと純粋に楽しもうと思っているから。
結論、余裕で嘘を付いていく。ことになるしかない。
最近Twitterを開かなくなったのは、生活の中で自分がしたことがそのままダイレクトにインターネットに流れていくのが嫌だからだ(書きたくなっちゃう)。APEXというめちゃめちゃ好きなゲームをしているんだけど、途中から趣味で配信をつけ始めるようになって、そのうち、どうせAPEXをやるなら配信した方がいい、と考えるようになり、配信が面倒だから今日はAPEXをやらないと思った時に「やべ~」と気が付いた。ステマ人生。目的と手段の全てが逆転してしまったのがこの瞬間であ~る。
河川敷でシートを引いて読書をしたりしてもいい!!!してもいいんだよ!!分かってる?本当にしてもいいってことを。ハーゲンダッツのデッカイのを買った喜びを誰にも知らせなくていいんだよ??分かる?落合君??って感じだ。
だから一旦インターネットから離れちゃうことにしました。note書いたり、作ったものの告知はするけど。自分が好きなものや時間をみんなに知らせる必要はない。本当のおもしろさと豊かなものってそこにあるぜ!!
最近結構マジでしんどい時期が続いてたことに気が付いた。いつもピークにならないと気が付かない。自分はお笑いをやったり、コラムを書かせてもらったり、ライター的なことをやらせてもらったり、コンビニでバイトをしていたりと、マジで訳が分からない状態になっている。全然それでオッケーなのだけど、フリーランスとマインドが同じだから(事務所も入ってないので)、普通に焦る。ずっとずっとずっとなにをしても頑張ってない、頑張ってない、頑張ってない、今日は作業できないで寝ちゃった、死んだ方いいよお前は、人に迷惑ばかりかけて、飯とか食うなよ、キモイ、きも落合、くたばれ!!!みたいなことを自分に思ったりとかして、とにかく意味のあることだけをしないと、自分を認められない状態に陥っていた。その状態が「超つまんねえ」ってことにマジで今日気が付いた。ここまで書いてきたことをずっと悩んでいたんだけど、今さっき全てが繋がって解決した。
フリーランスにとって最も楽なのは「がむしゃらに頑張る」ことで、一番難しいのは「遊ぶこと」なのかもしれない。がむしゃらに頑張るって努力と全く違う次元の話で、身体の疲労感でしか作品の良し悪しを決めれないっていうヤバイ状態のことだ。もっと初期衝動に立ち返るというか、遊びだからマジ、って感じでやるべきなんだなと思った。そしたら超楽になった。
楽しいからやってるんだったわ。2023年はそんな感じになる。
落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。