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親に呪われている人へ

父親が死んだのは8歳くらいの時で、それから高校を卒業するまで母親と二人で生活をしていた。大学に入学する時に、親と生活できる時間は十八年間しかないということに驚きと寂しさを覚えたが、今となっては無理矢理上京してきてよかったなと心から思う。
あのまま茨城にいたら、彼女が僕にとって呪いであるということに気が付けなかったに違いない。

友達の女の子がこの前「母親が一人暮らしを認めてくれない」と言っていた。彼女は母子家庭であり、勤務地が実家から近いので現在母親と二人暮らしをしている。
「ぶん殴ってでもいいから家から出た方がいいよ」と冗談とマジを半分ずつ混ぜたようなことを言うと、彼女は笑いながらそういう訳にもいかないといったような表情を浮かべていた。
でも本当にそれしかないし、そういう訳にいかない訳がない。

昔「愛の正体は「情け」だ」と大学の教授に言われて大いに納得したのだが、まさしくそれで「私がいなくなったらお母さんが可哀想」「母親と喧嘩別れしたくない」と思うこと自体が既にラブの証なので、もう彼女は家を飛び出していいのである。
どうして「母親を愛している」と自覚することが「実家を出ることの」後押しになるかというと、それが親からの呪いを解くための鍵となっているからだ。

友達の女の子に「母親がもしいなかったら自分はもっと自由に生きれたって思うことない?」と聞いたら「めっちゃある」と彼女は言っていた。
その時になぜだか僕が楽になった。自分だけではなかったことにの安心したのだと思う。

僕が社会人1年目の時、もう一度母親と共に東京で暮らすことになった。
様々な家庭の事情があり(長くなるのでカットします)一緒に暮らすしかなかったのだが、僕は母親に黙って会社を辞めて芸人になるつもりだったので、その計画が破綻してしまったことに絶望していた(二人で暮らしていたら流石にバレる、母親は大真面目な人なので「芸人」などは認めないことが確定していた)。
「仕事を辞めたいのに辞めれない」「この人がいる限りやりたいことができない」と思っているうちに、母親に対して「この人がもし死んでくれたら(いなくなってくれたら)」というようなことを考えるようになっていった。それがマジでしんどくて、しんどくて仕方がなかった。母親が生きていることによって生じる自分へのメリットを毎日必死で列挙していた。

二か月目くらいで「母親が死んだ時、恐らく自分にはなにも残っていない」=「今現在は母親のためだけに社会人をやっている」という紛れもなさずぎる事実に限界がきて、もしそうなのであれば彼女は僕の人生において現時点では不要であるという結論に至った。

「死んでほしい」と思いたくないのであれば、彼女を裏切る必要があり、彼女を恨まないためにも、僕はある日突然会社を辞めたのである。
それから母親がまた茨城に戻るまでの数か月は、スーツを着て家を出てそのまま公園で時間を潰したりしていた。ちなみに現在も母親は僕を今だに銀行員だと思っている。

自分の人生なのにも関わらず「やりたいことをやれない」のは状態として異常である。ただ欲望のままに生きることが「親を裏切る」ことになるなんてあまりにもおかしい。その関係性に「共依存的」ななにかが潜んでいる気がする。

僕の身体や精神には「母親」に生かしてもらってきたという感謝の念が刻み込まれている。それが自分の身動きを取れなくする。
母子家庭というのは、自分に投資されたお金が母親の労働からきているということを、本当の意味でよく理解している。
母親が仕事から帰ってきた時とかにふと見せる、あの疲れた表情を見れば分かる。彼女の命を削っている感覚が僅かながらにある。

だから彼女の期待に応えなきゃいけないと思うし、親からの期待も感じる。
でもこの期待は一般的に使われる意味での「期待」とは少し違う。
「子供にはいい人生を送って欲しい」という一見見栄えはいいようで、子供にとっては呪いのような意味がそこには込められている。

「親のために生きている」「親のせいで自由に生きれない」思っている人はいい加減気付くべきなんだけど、親を理由にして他人に決定付けられた人生を送っている方が、自分で選択した人生を歩むよりも遥かに楽です。
親を憎んでいる暇があったら、さっさと絶縁した方がいいと思う。その勇気があるなら。

親は他人である。
離れて暮らすと彼女が「全ての答えを持っている人」ではないことに気が付く。自分と変わらない大したことのない人間だと分かる。
親がまともじゃないことに気が付いても全然大丈夫。
前進するためなら、親を軽蔑してもかなりアリ。
少しでも依存を感じたらすぐに離れた方がいいと思います。










落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。