一人暮らしあるある
「我が家で夕飯を食べるとか?」
彼女はあまりにすんなりと私を自宅に招待してくれた。
「一人で暮らす家過ぎて、誘っておいて自分で怯えているのですが是非。ごはんをつくっておきます!」という連絡に、「私は昨夜、レンジで3分解凍したうどんに納豆と冷凍刻みオクラとめんつゆをぶっかけて食べました!」と一人暮らしの極みレシピを返信したら文字の向こうで彼女が賛同するように笑っていた。
お互い一人暮らしで年齢も近い。
ぴしっとしているのにやわらかい花弁を持つ百合のような印象の彼女と、初めて食事を共にする。どんなおしゃべりになるかと楽しみにお邪魔したこの日、会話はキッチンからはじまった。
vol.4 おみゆさん
「聞かせてください、お茶碗がふたつある話を」
同じ柄で同じサイズ、そして同じ色
全く同じふたつのお茶碗が目の前に現れたものだから、興味津々にそれを見つめて質問をする。
「いつの間に?」気がつかないくらいにするりと現れたそのツインのお茶碗はおみゆさんにとても馴染んでいる印象がした。
「まずこのふたつのお茶碗をどこでゲットしたかというと…」
「え!待ってすごいことになってる!すごい!!」
茶碗の向こう、シンクとコンロの間のスペースで土鍋の蓋がぱかっと開いた。
もくもくと広がる湯気と同じくらいに優しく透る声で話しはじめる彼女を私が慌てて遮ったのは、土鍋の中、米の上にドンッと居座るおおきなチキンが視界に飛び込んできたからだ。
彼女のキッチンには私のキッチンにある1合炊き土鍋の3合炊きver.があって、てっきり我が家と同じようにつやつやの白米が出てくるとばかり思っていたものだから、予想外のその姿に、自分でした質問をそっちのけでついつい声を上げたのだった。
「普通はトングとかで取って支えてカットするけど、トングなんてないから菜箸で支えて切る肉、です。」
えいやっ!と土鍋から肉を取り出した彼女が、その肉を強引に支えて切りはじめる。
最高だ。
誰に見せるわけでもない一人暮らしの調理光景はズボラというのとも少し違う。ひとつのものを何通りにも使う、ということが日常になっていく。
「いちばんいいのは道具の新しい使い方を発見できるところですかね。全然活躍してなくて宝の持ち腐れ状態のボウルもバットも、今日はここぞとばかりに使ってますけど」
お茶碗みせてというわたしの発言が、削ぎ落とされた日々の中で使わなくなっていった調理器具たちに出番を与えたようだった。
一人暮らしをしていると‘誰かのためにご飯を作る’という機会には滅多に出会わない。
「わたしはあれなんですよ…会社でご飯をつくることがあるんです。」
カフェの運営やセレクトも行うその会社で、彼女は撮影のスタイリストやディレクションを手掛けている。忙しく働く職場でもご飯釜を使った料理を振る舞うことがあるらしい。
「一発で肉もライスも仕上げるという。一番楽ちんですから」
にやりと笑いながら、この日は土鍋カオマンガイとレンコンの挟み焼きを用意してくれていた。
一番楽ちんと言いながらもカオマンガイのタレまで手作りしてくれていて、予想以上のレベルの料理にどきどきしながら美味しく盛り付けられていく様子を覗き込む。
「あ、ぜんぜん話違う方向に行っちゃったんですけど。ご飯茶碗、古道具屋さんで出会ったんです。2個セットで売ってたんですよ。」
ひとつめのお茶碗に米を盛り終えて、もうひとつのお茶碗を手に取った彼女が話の続きをはじめた。
「この対になっている子を離れ離れにするのは違うのでは?でも…ひとりなのに?」
かわいさにときめきながらも一人暮らしの生活にふたつ迎え入れるのかという疑問。
でもかわいいが勝ったらしい。
「バラバラにしないでおくかという気持ちをそのままに2個買って、2個、ずっと居続けるんです」
言いながら彼女は、ふたつのお茶碗に盛られた米の上にチキンをごろりと乗せた。
「なんでもそうなですけどモノ捨てるじゃないですか」
‘買う’という話の中で唐突に現れた‘捨てる’という話。
おみゆさんの思考のスピードはロケットだ。ビュンッと全体を見渡せるところまで一気に移ったかと思うと、そこからまた多角に視点を移してどんどんと広がって、だけど優しく着地する。
その話し方に、彼女のものの捉え方の柔軟性が在る気がして、なんとなくだった彼女の持つ魅力の輪郭がだんだんと浮かび上がるのを感じた。
「気に入ってないとモノ捨てるタイプなんで、無駄なものあんま買いたくないな、とりあえずで買いたくないな、みたいな気持ちがあって。しばらくご飯茶碗なしで生活してたんですよ。」
買いたくないの中での“これだ”というお茶碗だったのだ。2個だからという理由で諦めずに2個とも迎え入れたことが頷ける。
ふたつのお茶碗もそこに盛られたカオマンガイも、おみゆさんの暮らしなのだなと眺めていたら、横からまた驚きのひと言が放たれた。
「これに出会うまでしばらく、抹茶碗をご飯茶碗にして生活してたんですよ」
「嘘でしょ?!」自分の目が最大限までおおきく、丸くなるのを感じた。
おみゆさんは私の反応に「そんなに驚く?」という顔で笑っている。
「とりあえずでは買わない」という気持ちが「とりあえず手元にある抹茶碗をご飯茶碗として使う」という行動を起こさせたらしかった。
ご飯茶碗はないけれど抹茶碗はある、という暮らし。
じわじわとくるその衝撃に、沸騰したお湯にゆれる茹でられた輪切りレンコンになったようなふわふわとした心地でいると、いつの間にかキッチンの奥に移動していた彼女が、
「しばらくこの子がご飯茶碗でした、ご飯茶碗の変貌!」と、うきうきした声で例の抹茶碗を私の目の前にことんと置いた。
「感動!」
「この子が初期、ご飯茶碗の代わりになった抹茶碗で。ただこの子、金縁になっているんで電子レンジに入れるとジジジジジッてなる…」
「ダメなやつじゃないですか」
即座に声を遮る私に彼女がフフフと笑う。
「で、出会ったのがこいつで」
カオマンガイをのせられているふたつの茶碗を指す。
「さらに言うともう一個、一度も使ったことのないご飯茶碗が存在するんです」
「もう一個?!」
矢継ぎ早に飛んでくるいくつものお茶碗にわたしはよろよろとのぼせて、後ろにあるソファにひっくり返りそうになった。
彼女は、見て!見て!と、シール帳のコレクションを見せたくて仕方がない少女のようなきらきらした表情でもうひとつの茶碗を取り出している。
「これが、わたし蠍座なんですけど、うわぁ!これ!わたしのじゃん!って」
外側をぐるっと一周どこから見ても蠍がいるそのお茶碗を手に、彼女の声のトーンがひとつもふたつも上がる。出会った瞬間の興奮がそのまま…いや、出会った瞬間の光景がそこに浮かび上がるようで
いつしか私はそのときめきに引っ張られて、彼女だけが知るお茶碗の世界に入り込んでいた。
「my茶碗の概念でいくと、こいつがわたしの茶碗だぞ!って自信持って言えるやつなんですけど、なんかちょっと付き合うの違うな“推し”だもんな、みたいな気持ちですね。これにカオマンガイのせる?!って気持ちになっちゃって」
それはまさに“推し”だ。
外見としては誰が見てもお茶碗だけど、彼女にとってはある意味お茶碗ではないのだ。
米を盛るというお茶碗の領域をはるか超えたお茶碗そのものへの愛情。
なにより、それを語るおみゆさんが輝いていて、とても素敵だ。
お茶碗という用途にしてしまったお茶碗
お気に入りの使うお茶碗
お気に入りの使わないお茶碗
まさかお茶碗が3種類も出てくるとは。しかもそれぞれにしっかりキャラがあって、それぞれに愛を持っている。
「お声がけいただいてお茶碗を振り返ったときに、どうしようかなお茶碗いっぱいあるなと思って。家でご飯がいいだろうなと。それにこれ、2個あるから一緒に使える!」
「わたし、お茶碗に呼ばれていたんですね!」
作ってくれたごはんを、作ってくれた人と、作ってくれた人のお気に入りお茶碗を使って食べる。
なんと贅沢な食卓だろう。
「いただきます」
お茶碗を手に取った。
さっきまで少し遠めに眺めていたお茶碗が一気に身近になる。
はじめはお茶碗にカオマンガイ?とすこし疑問だったけれど、彼女の暮らし方と手にしたお茶碗の馴染み方に納得。ひとくち食べたお茶碗カオマンガイがおいしくて、彼女が捉える日々の基準のようなものがじんわりと伝わってくるように思った。
「ふたつのうち、どちらかを常に使っているというのはあります?」
「たぶんあるんですけど、これ人間の双子が見分けついてないと一緒です。もう、どの子かAでどの子がBかわからないで使い続けていて、たまに掃除とかでシャッフルされて、上にいる子を一生使ってるみたいな。」
おなじふたつがどちらでも、同じようにいつもの食卓になるらしい。
「奇跡が起こった時に誰かが来るじゃないですか、今日みたいに。誰かが来るってなったときに、、」
そう言いかけて「ご飯茶碗に、誰かが来るなんていう前提ないですね?」と目を合わす。
箸や皿は複数あるとしても、特定のだれかのためではない“もしもの日のお茶碗”なんて、家族という単位で暮らす家でもなかなか準備されていないだろう。
やっぱりお茶碗は特別だ。
「お箸は意図して、この取り皿も意図して2枚買ってます。これだけ、茶碗だけは仕方なく2個買ってますね」
気に入っちゃったから仕方なかったお茶碗。
「抹茶碗からわたしを救ってくれたのはこの子達なんで」
テーブルに置かれた空の抹茶碗に視線を移した。
「今の会社に10年くらいいるんですけど、10年って結構長いじゃないですか。価値観が結構それになっちゃうんですよ。」
抹茶碗の話をすると思えない前置き、ビュンッと視野が広がる気配を感じて抹茶碗にあった視線を彼女へと移す。
「で、お店でありとあらゆるものを抹茶碗に入れてるんですよ」
「ありとあらゆるものを抹茶碗に入れてるんですよ?…どういうこと?」
「お店で出すお料理が抹茶碗に入ってる率が高いんです」
「お料理が?」
「今もランチのお魚定食の魚の煮付けを抹茶碗で出してるんです」
驚きに驚きが重ねられていく。
抹茶碗という概念で作られたものではあるけれど、ただ入れものという概念で、器として使う。そういうことが仕事であたりまえにあったために自分の部屋でもあたりまえになったらしい。
「わたしの中で抹茶碗は最強なんですよ。入るものなんでも入れちゃえみたいな。だからあの抹茶碗を使ってたときはありとあらゆるものをあれで食べてましたね、丼ですね。入るということで…私あれでカレーも食べてました。」
「カレー……!?」
抹茶碗とどんぶりの境目がわからなくなっていく。
先ず、抹茶碗はどこからどうなってこの形になったのだろうか。
「お抹茶なら正直、小さめの湯呑みでも入るじゃないですか」
「量で言ったらもう。あ、でも点てられない。」
「出来上がったものを移すわけじゃなくて、抹茶碗はティーポットの役割もここで果たす…」
「は!」
「「一人暮らし向けだ!」」
作ると飲むがひとつの場所だと気づいて、顔を見合わせて笑った。
もしかして、一人暮らしあるあるのひとつである“フライパンからそのまま食べる”ことも、お抹茶の要領だとすれば、不自然ではないなんら当然なことではないのか。
いや、フライパンからそのままはさすがにズボラの領域か。
カオマンガイをおかわりしようと土鍋に手をのばす。その土鍋が置かれているのはいつもキッチンで腰をかけるらしい木製のスツールの上だ。ソファ側ではテーブル代わりになった。
「これも一人暮らしあるあるですね」
「そうですスツールだけどなんでも置いちゃう」
もしかしたら彼女が初代お茶碗として使った抹茶碗も、このスツールみたいなことかもしれない。「こういう使い方もできるじゃん!」と、その場に応じての発想がたくさんあるほど暮らしはきっと豊かになるし、モノの見方やとらえかた、自分の気づきも増えていく。
すっかりごちそうになってふくふくの気持ちになっていると、例の抹茶碗にいちごが盛られて登場した。
「は!茶碗に!」
「旧茶碗に、入りました」
抹茶碗を両手に抱えた彼女の「にこにこ」という表現がぴったりの表情からは、抹茶碗が断捨離ゾーンから逃れていることがじわりじわりと伝わってきた。
「なんでも受け止めてくれる感じがすごくある」と言ったその抹茶碗に馴染むいちごは予想以上だ。
いつも「ゴロゴロするだけ」というソファにだらんと座って抹茶碗からいちごを食べた。
休日の彼女を受け止めてくれているらしいお気に入りのソファはやっぱり彼女にフィットしているし、抹茶碗はいちごにフィットしている。
ソファも、いくつもあるお茶碗も、それぞれが彼女の暮らしをつくりだしていた。
最後のいちごにフォークをさして口に運ぶ。
空になった抹茶碗を眺めて、ひとつ疑問を投げる。
「ちなみにこれでお抹茶をたてたことは?」
「ないです」
「んふふふふ!」「はははは!」
「これで抹茶をたてるという生活をしてたら」
「ない!たしかに、それはカレー入れられないですね、カレーを入れちゃってる記憶があるからこれで抹茶をたてる気持ちにならないです」
抹茶碗を抹茶碗以外で使うというのは、抹茶碗に抹茶碗の概念をなくさせてはじめて成り立つのだという気づき。
‘一人暮らしあるある’の中で自然に生まれた何通りもの使い方と、そうではない、専用であるという特別。
どちらもお茶碗の魅力のひとつなのかもしれないと思う。
「じゃあ、もし家で抹茶をたてる生活がやってきた場合には別の抹茶碗を?」
「それはもう別の、この子じゃない、新しいね。」
「お抹茶用の」
「抹茶はじめてみようかなこれを機に」
お茶碗がまたひとつ進化していく気持ちがした。彼女にはまたいつか「いまはどんなお茶碗を使っているの?」と聞くことになりそうだ。
◯
《今回のお茶碗の持ち主》
おみゆさん
1991年生まれ
MAISONETTE(メゾネット)という会社に在籍している。
メゾネットという場所がおみゆさんを形成しているし、メゾネットという場所をおみゆさんが創り出している。
どんな棘も包むように受け止めてくれそうな頼もしさを持つ凛とした彼女から、ときどき見え隠れするオタク気質な一面はとても人間的で愛おしい。仕事をしているときはとことんパワフルに仕事をしているけれど、オフの時間はとことんのびのびオフを過ごしている、わたしの憧れだ。
MAISONETTE Inc.
スタイルをデザインするプロダクション
https://maisonetteinc.com
お茶碗トーク当日の様子などはInstagramから
@ochawan_misete