発展途上のことば
ずっと、何かにつけて理由を求められるのが面倒だし、なんだか窮屈だなあと思っていた節があった。
それに私は、会話で伝えようとする時、妙に緊張して伝えたいことの半分も伝えられないまま終わることが多い。口で話すよりも、書くほうが得意な体質だ。
なぜか、これらのことは別物だと思っていたけど、どうやらそうではなさそうだということに今更気がついた。
何のためにやっている?
何のために時間を割いて、物事に取り組んでいる?
こうして考えてみることで、物事の輪郭がはっきりと見えてくる。
自分の中でぼんやりしていることは、自分語にすぎない。そのまま口から出てきたとしても、それはまとまりのないものになってしまう。
どうりで理解されない、伝わらないわけだ。
話題によっては、うまく伝えられることもあるけど。
面倒だ、窮屈だと言い訳をして、努力をしていなかった。自分語を言葉に、そしてそれらをもとに順序立てて話をする努力。
誰かとかかわるための道具として言葉があるのだとすれば、言葉にできる材料を、蓄えておかなければならない。
言葉にできると、誰かに伝えられるかもしれない第一歩がようやく踏み出せる。
なんとなく始めたことにも、その“なんとなく”を可視化できるものにすると、自分の本質に近づける気がする。
もちろん、全部いっぺんにそんなことを始めると疲れてしまいそうだから、すこしずつ。
まだまだ、自分の中のあれこれは自分語のまま散らばって、置き去りにされている。
発展途上のそれと、向き合っていこうと思う。