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創作に対するコンプレックスからの解放と、自己紹介

初めまして。
投稿した何枚かの写真に対し、見ず知らずの方が「スキ」を下さったことがとても嬉しく。
従って(?)、私がミラーレス一眼で写真を撮り始め、noteへの投稿を始めた理由を書いてみたいと思います。
あと自己紹介も少しだけ。
お暇な方、読んで頂けると幸いです。

結構長くて大袈裟な話になったけれど、少なからず共感して下さる方がいると嬉しいな。


『作る』事へのコンプレックス

(手芸に手を出したときもあった。)

子供の頃から本を好み、漫画を好み、絵を好み、映画を好んでいた。

いわゆるサブカルチャーやオタク文化が趣味として日の目を浴びる、その過渡期に青春時代を過ごした。
一次創作、二次創作を問わず、ジャンルを問わず、コンテンツの海を泳ぐが如く、すごくて特別で才能を持った人の作品群をどんどんと掻き込んでいた。
作品に対して衝撃と感動と敬愛を覚えるたびに、その製作者へと想いを馳せた。

宮崎駿はすごい。高畑勲はすごい。J.K.ローリングはすごい。北方謙三はすごい。江國香織はすごい。エッシャーはすごい。ルソーはすごい。大友克洋はすごい。井上雄彦はすごい。王欣太はすごい。青池保子はすごい。堤幸彦はすごい。ウェス・アンダーソンはすごい。そして数々のHN:〇〇さん、すごい。

すごいすごいすごい。
わたしもそうなりたい。

作りたい、表現したい。
感じていることや考えていることを、一所懸命に形にしたい。
こんなにも感じ入ることが出来るのに、受け取るのみではおかしい。
私にも他の人を揺さぶる事の出来る、才能のある『方法』が、何かあるはずだ。

自分に対する根拠不明の自信と期待が沸き起こるのは、割と自然な事だったと思う。

受け取るだけは悔しかった

欲求のままに手を出した。
しかし、文でも絵でも興味があることは何でもかじってみたけれど、どれも、誠実な意味での「真剣」にはなれなかった。
出来上がる作品は当然のように拙くはあったが、それ以前の問題で、周りが見えなくなるほどに打ち込むことが出来なかった。

才能があるかないかより、創作に没入出来ないことがショックだった。
作る側にはなれない、と、静かに失望した。
絵を描くことはずっと好きだったけれど、それも高校生になったころに自然と手から離れていった。


iPhone、それは君が見た光

ひっそりとした失望と創作欲求を無かったものとして、私はすっかり大人になった。

作品の創作を生業にすることを目指すまでもなく、趣味とすることすら、何となく苦手意識が漂っていた。
どーせ私は見ることしかできない。
何にも夢中にはなれない。
仕事や恋愛で忙しいし、見るだけでいいや。
続けられないものを始めるという経験をこれ以上重ねたくなかった。

しかし転機は訪れる。
あくまで今思えば、だけれど。

ガラケーからiPhone5へ

スマホ時代の到来で一体何人が写真という趣味に目覚めたんだろう。
私はまさにそのひとりだった。

ガラケーでは、ただの記録にしかなり得なかった写真が、スマホのカメラによって『作品』に格上げされるようになった。
私はほぼ夢中になって写真を撮った。
姉の子供たちや、飼い猫、庭先の花、旅先の山々に神社、池に沈んだ落ち葉、鳥の足跡。
「素敵だな」「美しいな」と思って撮ったものが、そのまま作品になった。

これこそが私の『方法』かもしれない。
違うかもしれないけれど、違わないかもしれない。
写真を撮る事にただただ夢中になれる気がした。
思ったように撮れない事にもどかしさを、見たままの美しさと空気を転写できた喜びを感じる度に、期待が膨らんでいく。

眠らせた欲求はいつか必ず目を覚ます

4〜5年前は特に熱心になって、身内ばかりがフォロワーのSNSに撮った写真をアップして見てもらっていた。
主にFacebookに、たまにInstagramに。
しかしその場で「いいね」をもらいたければ、SNS上での普段からのマメなコミュニケーションと自己開示が必要だった。
有名人か顔の作りが良いか特殊技能者でもない限り、いいねには相互性が付きまとう。
見られているのは写真ではなく私自身だった事にようやく気づいて、そこからも足が遠のく。

カメラロールには漫然と撮りためた写真が並び、それをひとり眺めるようになっていった。
これ綺麗に撮れてるなー、えへへ。
そんな風に、内向きな自己満足を重ねた。


そして昨年の末。
「それでは物足りない」と、創作欲求が顔を出した。
目一杯写真を撮って、写真だけを載せて、それに興味をもってもらいたくなった。

思う存分に写真を撮りたい。
それを沢山の人に見てもらいたい、好きと言ってもらいたい。
最悪見てもらえなくても、好きと言ってもらえなくてもいい。
人目につく場に発信していきたい。

痴がましいけれど、私が今まで有象無象に感受してきたあらゆる作品たちのひとつのように、『写真』でそれをしたい。

そうして私は、長らく鎮座していた『創作コンプレックス』の座を廃し、『写真』が座れる席を作る事にした。
ふかふかで、ずっと座っててもお尻が痛くならないような、座り心地の良いやつを。


そしてこんにち(2020年)に至る


今年の1月1日にオリンパスのOM-D E-M10 MARKⅡを手に入れました。

「写真投稿を始めよう=ちゃんとしたカメラを買おう」となり、価格ドットコムに溢れる様々なミラーレス一眼の口コミをせっせと読み、新年セールでポチったものです。
半押しでピントを合わせてから、シャッターボタンを押し込む感触が病みつきになります。 
機能面に関してはまだほぼ理解していませんが、いずれは三脚やレンズも使いこなして色んな写真を撮ってみたいな。

写真投稿をする媒体としてnoteを選んだ理由

前項の通りFacebookやInstagramが苦手である事と、noteに流れている空気感が私には好ましいからです。
クオリティや収益化を探求することにもまして、創作を楽しみ、続けていこうというスタンスが好きです。

また、密度の濃いやり取りはなくとも、写真を撮る・見ることが好きな方がハッシュタグを検索してくれて、いいなと思ったらスキをもらえる。
ただそれだけの感じが自分に合っている気がしました。

前項、前々項と長々と書いてみましたが、何かを作りたいという欲求が先立ち、その手段を見つけられないでいる自身へのもどかしさ・失望感を抱えたままでいるのは、どうにも生きづらく感じていました。
写真を撮り人に見てもらうという単純な行為に、そんな想いをのせている人間もいるんだなあと思って頂ければ幸いです。


自己紹介

・名前:ちほ
・誕生日:1992年 夏生まれ
・住所:岩手県
・猫:♀5才を1匹
・職業:事務

・好き:穂村弘作品、ミッシェル・オスロ作品、クリストファー・ノーラン作品、ドラマトリックシリーズ、三国志、星野源、サカナクション、ゲッターズ飯田、鰻、雲丹、牡蠣、白子、オムライス、餃子、ビール、アイスクリーム、口紅、イヤリング、長風呂、温泉、散歩、神社、動物全般 など


よろしくお願い致します。

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