お茶の間の皆さん、と呼び掛けられなくなった。リビングダイニングキッチンの間取りのせいだろうか。フローリングに、IHクッキングヒーターと、今自分が日本の家屋に住んでいるのかさえ不安になる。お茶の間にテレビが一台在り、一家の大黒柱たる父親がリモコンという権力装置を用いた家父長制的な色合いは、令和の時代には消失している。世のお父さんは、今日ぐらいノンアルにしときなさいとお母さんに牽制され、息子が大画面のテレビでゾンビを撃ち殺すゲームに熱狂し、テーブルにはエナジードリンクの空き缶が並べられている。かつてお茶の間と呼ばれた空間は荒廃し、共同体としての家族が持続不可能性をも孕んでいる。お茶の間の復権、労働ばかりの社会から余暇を奪い返し、卓袱台にアッツアツの湯呑みを叩き付けるその日まで、お茶を忘れずに、いや、日本を忘れずにいよう。精神としてのお茶のフェーズも視野に入れておかないといけない。理不尽なまでの熱さ、それを冷ましてすぐ飲もうなど、合理化された思考である。あまりにも、スピーディーで効率的で合理的ではないか。熱湯百度を涼しい顔で飲む、そのズレに人間の滑稽や諧謔を感ずる感度まで鈍化してしまったようだ。無痛社会を全肯定は出来ない。

そくらてつお

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