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お茶はその歴史の中、最初こそ薬という位置付けであったが、今は嗜好品だ。

日本にはお茶の景気のいい時代もあったそうだが(祖父の時代)、下降線を辿り続けている。
ペットボトルの需要は多分今のところはとどまるところを知らないといった感じだが、対して茶葉の需要は減っていく一方である。
(時々、ペットボトルのお茶との違い云々…と言う人もいるが、ペットボトルのお茶も美味いと私は思っている。)

このところの物価高とか不景気を思うと、正直あってもなくても困るものでもない(ペットボトル以外の)お茶は生活の中で切り捨てられてもしょうがないとすら思える。
お茶屋をやっているものとしては切ない話ではあるが、ものすごい伸びしろがあるとは私も思っていない。
それでも私は毎日飲むし、作ることが好きなので、続けられる限りは続けようと思うだけだ。
需要は伸びないかもしれないが、飲む人がゼロになることはないだろう。
…その時に私は生き残れないだろうが。

という自虐は置いておいて、お茶漬けというものはお茶屋の娘の私にとってごはんに番茶をかけて、鮭とか漬物とかそんなもので食べるものだった。
お茶漬けの素にも多少抹茶は入ってはいるが、世間一般にお茶漬けと言えばお茶漬けの素である。
そして出汁茶漬けという、もはやお茶すら入っていないお茶漬けもある。お茶漬けの概念とは実に幅広いものである。

お茶しよう、も実際お茶を指しているわけではなかったり、お茶を使っていないお茶漬けがあったり、お茶とはなんなんだろうと思う。
お茶というものが消えることはないだろうが、もし仮に今後なくなってしまったとして、お茶という言葉は残るのだろうか。

そんなことをおセンチに考える夜なのだった。

かみや園+

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