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ショートショート 『殺人事件の記事』

 ドアが3回ノックされ、家主が立ち上がるよりも先に訪問者が飛び込んできた。

「やあやあ、レイン。鍵も掛けてないなんて物騒じゃないか」
「我が家に勝手に飛び込んで来るのは君しかいないからね。で、何だい?トーマス」

 レインは新聞の端っこから招かざる客をチラッと見た。トーマスはドカッとレインの前の椅子に腰を下ろし、新聞の記事に目をやる。

「そうでもないぜ、この事件を見ろよ。君にだって、いつ財産狙いの殺人が起きないとも限らないだろ?」

 トーマスが指さした殺人事件の記事は、新聞の一面を大きく飾っていた。

 普段は穏やかな村だが、先日、村一番の大金持ちであるヨハン=デデキントが何者かに殺され、金庫は空っぽになっていた事件だ。

「私には狙われるほどの財産もないよ」

 トーマスは何か頼み事がある時の癖で、テーブルに肘をつき、左右の長い指を交互に絡ませた。

「実に不可解な事件で、当時、家に鍵はかかっていた」
「合鍵があれば可能だろ?」
 トーマスはムッとしたが、続ける。

「その日は家政婦が休み、配達員が朝に新聞を届けた時には生きていたそうだ」
「犯行時間はその後、だね」
 トーマスは指をムズムズと動かした。

「次の日、訪問した銀行員が来た時には鍵がかかっていて、心配になった銀行員が駐在所の警察官と一緒に立ち入った時には、すでにヨハンは死亡していた。死因は刃物で背中からブスリ、心臓を一撃だ」

 無言で新聞を見ているレインの耳が、かすかに動いているのをトーマスは見逃さない。興味がある話だとレインの耳が動くのだ。
 トーマスは刃物を刺すジェスチャーをしながら、内心ではニヤリとほくそ笑んでいた。

「部屋は荒らされた様子がなく、ただ、金庫だけ開いていて、中は空っぽ。書類も全て無くなっていた」

 ヨハンは、銀行に融資を断られた者たちを中心に、こっそり高利貸しのようなことをしていたらしい。そのため、家には常に多額の現金が保管されていた。

 その日も銀行から資金を配達させており、約束の日に姿を見せないのを不審に思った銀行員が、駐在所へ駆け込んだのだった。

「警察は今、ヨハンの愛人を探しているってよ。合鍵を持ってるのは愛人と家政婦だったからね」
「トーマス、君は犯人が捕まってほしいの?それとも、いつものただの興味本位?」
「レインはもう犯人が誰かわかってるの?」

 ガバッと立ち上がって、トーマスはレインとの間を邪魔している新聞をおしのけた。レインはめんどくさそうな表情で友人を見る。

「名前まではわからない」
「やっぱり愛人?」
「いや、複数犯だよ」

 友人の断定的な言い方に、トーマスはあんぐりと口を開けた。レインはすっかり冷めたコーヒーを一口飲んでから言った。

「合鍵は家政婦か愛人だろう。殺人は男性、それもかなりの手練れだね。金庫のナンバーを知っているのは、愛人か家政婦も怪しい。それとも、金庫を開けているところを狙ったのかも?ヨハンに金を借りた奴らは、全員容疑者。金庫にあった借用書が無くなっていることから、確実だろうね。全員で協力しあった可能性もある。単独犯ではないよ」

 トーマスがますます絶句している様子を見て、ちょっと得意げになったレインは続ける。

「完全犯罪なんて、捏造でしかありない。仲間内で庇いあって、証拠隠滅してるのさ。ヨハンから金を借りている人の中に警官や新聞記者もいるかもね。そのうち、この事件はお蔵入りして終わりになるだろう」
「そうなの?でもさ、なんで分かったの?」

 レインはニヤッとして、新聞を指した。

「記事の中に答えはある。だって、文章が全然的を得ていないじゃないか?その日、愛人はどうしたの?どうして銀行員はすぐに駐在所に駆け込んだの?心臓を一撃って、突発的な殺人なら心臓を狙う余裕ないよね。室内を荒らされた様子がないのは、知っている人だったから。ヨハンに金を借りに来たか、返しに来たフリをして、油断して背中を向けたところをザクっと。私の予想では、金を借りるフリをして、金庫を開けさせたところを狙ったんじゃないかと思っているよ」

 納得したようなトーマスを見て、レインは満足そうだ。

「それも一人じゃないかもね。数人で来たかも。まあ、どっちでもいいけど、組織的な犯罪なら、そのうち最もらしい理由をつけて、有耶無耶のうちに終了しそうだね。十中八九計画的犯行だよ。まあ、ヨハンもかなり違法まがいの悪どいことをしていたようだから、自業自得かもしれないけど」

 レインは、友人のためにコーヒーを淹れようと立ち上がった。新聞の記事を読み返していたトーマスは、何度も小首をかしげている。

 お湯を注ぐと、ほどなくしてドリップしたコーヒーの香りが部屋中に広がった。

 トーマスは、不思議なものを見るような目で友人を見上げた。

「俺から見ると、文章におかしなところはないんだがなぁ」
「事件に関係ない、ヨハンの生い立ちとか、そんな情報ばかりだろ?不必要だと思わなかったの?記事を読んでいても疑問が晴れるどころか増すばかり。どうでも良い情報で真相をはぐらかしている」
「う〜ん、確かに……?」

 コーヒーカップをトーマスに渡す時のレインの眼差しは完全に呆れ返っていた。トーマスは気恥ずかしそうにもじもじする。

「違和感だらけじゃないか?」
「ありがと……。うん、そうかもね」
「やれやれ。で?今日のご用件は何?」
「用事がなきゃ来ちゃいけないのかよ?美味しいコーヒーを飲みに来たのさ」

 トーマスはにっこりし、レインもつられて苦笑いした。


 後日、家政婦が犯人として逮捕されたとの報道が流れた。新聞には、日頃から冷淡に扱われた恨みと金欲しさによる犯行だったと、もっともらしく書かれていた。

「あ、そうそう。春先の殺人事件だけどさ、家政婦が犯人だったよね? 単独犯じゃないって豪語してたくせに、かたなしだね」

トーマスが冷やかすように言うと、レインは肩をすくめた。

「あれ、家政婦の名前も写真も偽物だったよ」
「え?」
「それに、お金と借用書はどこへ消えたのかね?」

トーマスはぽかんとした表情で友人を見つめ、レインはコーヒーを飲みながらニヤリと笑った。

そして、この事件は三ヶ月後には誰も語らなくなったのだった……。


(*フィクションです)

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