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#4 NEOKOBE概念 ほか

Mixを作りました。7/12の出演の再現になります。何卒!


NEOKOBE

2019年から自分の中で構築している「NEOKOBE」という概念がある。曲を作る時、DJをする時、デザインをする時に、まあまあの割合でこの言葉を頭に浮かべながら作業をしている。言わば、脳内のNEOKOBEという架空都市のデザインをするかのように現実で創作をしている。人に頼まれて作る時はあまりそうは出来ないが...

実は上記のMIXにも、なんとなく後で思い返してNEOKOBEっぽいなぁと感じたので再現を作ったという経緯がある。

NEOKOBEという言葉自体は元からあって、自分が観測している範囲だと、ゲームで有名なKONAMIの社屋が神戸にあった頃に開発された「SPEED KING(1995年)」や「Snatcher(1988年)」などのゲームの舞台などとして、ネオコウベ(NEO KOBE)という言葉が使われている。

2019年頃に、ふとしたきっかけ(忘れた)でそれらの作品を知り、その世界やビジュアルに影響を受けてミックスを作ったのが、自分が考えるNEOKOBEの始まりだった。↓これが実際のミックスで、今でもたまに聴き返してDJの参考にしたりしている。近いうちにまた作ろうかな、、、

ちなみに、Snatcherやポリスノーツなどはメタルギアシリーズで有名な小島秀夫氏が神戸在住時代に手がけた作品だが、数年前PS1版ポリスノーツをリサイクルショップで買って遊んでみたら、序盤の犯人を追いかける場面で読み込みが止まってしまってそれ以上進める事ができなくなってしまい結構悲しかった。

ゲームにおけるNEO KOBEのことを知った時、神戸市民としてやはり喜びやロマンを覚えたが、震災を契機に、自分が幼い頃に神戸にあったコナミの社屋は無くなったし、こうしてお遊びで名前を付けられる機会も今ではもう無いんだろうなという寂しさも同時に感じた。そこで、単なるリバイバルではなく、自分の知らない「元気だった神戸」への望郷のような気持ちを込めて、自分も同じ言葉を引用し、「NEOKOBE」というコンセプトを冠して何かを作ってみようと思い立った。昔はそんな時代があったのだということを伝えながら、自分なりの神戸を表現してみるため。

NEOKOBEとは自分にとって、事実上・空想上のポリス(都市)としての神戸と、自分の地元であり住み馴れた地の将来像、そして自分がこれまで聴いてきた音楽のコンテクストなどが織り混ざった、理想と現実の最大公約数のような概念なのかもしれない。

tofubeatsさんがトーチライトでのインタビューで言っていた「鏡像」という言葉も少しそれと似た空気を感じて、読んだ時に少し安心感のような物を覚えた。

ー「制作を通して、自分や自分の属性と向き合う」という意識に至るきっかけは何かありましたか?

tofubeats:いや、まあでも、こういう言語化ができるようになったのは本当に最近で。最初のほうは、普通にジレンマと正面から向き合ってやってたんですけど。あるとき小西さんのこととかピチカート・ファイヴのことをちゃんと見ていて、自分にとって神戸は、本当に存在してる地元として向き合っているというより、自分が"神戸"を代表してるっていう自意識みたいなほうが大事なんじゃないかと思うようになりました。てか、それこそが地元の正体なのでは、と思うようになって。

アルバムをつくっていると、人よりは自分の考えを客観的に見ることが多いので、「そういうふうに自分は思ってるのかな」と捉えるようになって、漠然とやってきたことを言語化できるようになりました。ここ数年で。

ー実感として、地元にある「神戸」そのものよりは、「自分の中に存在している神戸」
が、トーフさんにとっての地元、ということなんですかね。

tofubeats:そうですね。影というか、鏡像というか。実際の地元の神戸は、事実として存在してるんですけど、それと自分の思っているイメージの中の神戸ってものに差があって。人が思ってる神戸とも、また差があるんですよ。

それはただ差があるだけなんですけど、そういうブレのあるイメージを、説明したりとか、表現しなきゃいけない立場なので。そもそもブレがあること、ブレについて考えることがおもろいなって思ったりもしたんで、そういうものにずっと向き合ってきた感じですね。

トーフさんの作品は水星のヒットもあり音楽に神戸っぽいイメージを持たれることが多いが、音楽そのもの以外にも、YouTubeでやっているハードオフを巡る企画や曲をリレー形式で作る企画なども、ゆるやかにトーフさんの鏡像としての神戸っぽさと繋がっているような気がしている。

自分は作曲は作曲としてやり、サブ的にMIXなどでNEOKOBEの空気感を伝えるというような感じだが、やはりいつかは自分のやっている活動を全体的に、ゆるやかにNEOKOBEという概念へと繋げていきたいという気持ちがどこかにある。

「架空の神戸」をやっている人は実は他にも複数人いて、神戸在住のTsudio Studioさんが2018年にリリースしたアルバム「Port Island」はまさに架空の神戸をテーマにしている。

このアルバムの舞台は神戸ですが

架空の神戸です



不況も震災も悲惨な事件なんて無かった

都合の良いお洒落と恋の架空の都市

Bandcampページより引用

そして何より、2017年リリースのHiro Tadomatsu氏のアルバム「The NeoKobe Nightly Selecta」には、見て分かる通り「NeoKobe」の言葉が既に使用されている。

この頃はとてもFutureFunk系のイベントが盛んで自分も何度か遊びに行っていたな、、、

自分なりの神戸を表現したくなるのは、トーフさんも言うようにそれぞれの神戸という地のイメージのばらつきが特に顕著な事も理由の一つにあるのかもしれないと思う。

神戸にはいくつかの区があるが、区ごとの区民性とでも言うべきイメージがそれぞれにあったりする。兵庫というスケールにおいても、兵庫五国と言われる摂津、播磨、但馬、丹波、淡路という昔の地域区分のイメージが今でも強く、互いに他の地域に持っている印象も違う。県民性という概念がほぼ無く、自分の住むエリアに強い帰属意識を覚えるのが兵庫県民の特徴な感じがする。

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