地元・渋谷区の誇りを胸に【FOCUS ON:小松桂太】
明治安田生命J1リーグから数えて「J8」の東京都社会人サッカーリーグ2部に所属しているTOKYO CITY F.C.。渋谷区をホームタウンに活動するクラブには、いったいどんな選手が在籍し、どんな思いを胸に秘めてプレーしているのだろうか。選手1人ひとりのパーソナリティに焦点を当てる連載企画「FOCUS ON」がスタート。第5回は今シーズン新加入で渋谷区出身、背番号22の小松桂太(@keitakomatsu_22)に迫る。
渋谷区生まれ、渋谷区育ち
渋谷区で生まれ、渋谷区で育った。そして今は渋谷区で働き、渋谷区のクラブでサッカーをしている。
まさか社会人になった自分が渋谷区からJリーグを目指すクラブの一員になり、小学生の頃毎週のように通っていた渋谷区スポーツセンターで練習をする日がくるなんて思ってもいなかった。生まれ育った渋谷区のために貢献できることには、すごくやりがいを感じている。
サッカーを始めたのは渋谷区立長谷戸小学校1年生の時だった。校庭で楽しそうにボールを蹴っている先輩たちを見て、「サッカーって楽しそうだな」と感じたので長谷戸SCに入った。
小学校の途中で三菱養和SCに移籍してしまったけれど、5年生の頃からは渋谷東部JFCの練習にも参加していた。渋谷区を離れてサッカーをし始めたのは中学進学のタイミングだ。
強いところでサッカーを続けたいという思いがあって、中学受験の末、桐蔭学園中学校に入学した。中高一貫校だったからそのまま高校に上がる選択肢もあった。けど、プロになるためにはもっと高いレベルの環境でやらなければダメだと思って、いくつかあった選択肢の中から市立船橋高校への進学を選んだ。
高校2年生くらいで少しずつ公式戦に出られるようになってきて、「このままいけばもしかしてプロになれるかも…」とも考えていたけど、そんなに簡単ではなかったね。完全に勘違いをしていた。
それでもプロになる夢は諦めきれなくて、高卒が無理なら大卒で目指せばいいと思って、近畿大学へ行くことにした。
大学でも2年生くらいから公式戦に絡めるようになり、3年生で中心選手になっていた。一方で冷静な自分もいて、Jリーグでプロになるなら3年生で目をつけられていないとダメだということもわかっていた。
だから3年生としての1年間は、毎試合をすごく大事にしながらリーグ戦に臨んでいた。けど、結局はJ2以上のクラブに練習参加するのは厳しくて、チームも降格して所属リーグのカテゴリが下がってしまったことで4年生の1年間はJリーグのクラブから見てもらえる機会も少なくなってしまった。
再燃したサッカーへの情熱
結局、ギリギリまでサッカーを続けていたけど、プロになる夢は諦めざるをえなかった。そうして社会人になり、最初の2年間はサッカーからも離れていたんだよね。
するとある時、大学時代の先輩から「クラブを立ち上げるから一緒にやろう」と連絡をもらい、もう一度真剣にサッカーをやろうかなと思ってFC.BANDELIEに加入した。これが俺の社会人サッカーでのキャリアの始まりだった。
FC.BANDELIEやアストラ倶楽部でプレーを続けてきて感じるのは、社会人サッカーはどんなカテゴリよりもモチベーションの維持が難しいということ。バックグラウンドの全く異なる選手たちが1つのチームに集まってプレーするし、それぞれ考えていることも思っていることも違う。ある意味チームとしての目標やプロセスを共有しやすい、学校の部活や大学の体育会、Jリーグクラブの育成組織とは性質が異なるカテゴリだと思う。
その中で、俺は社会人として仕事もしながら週末や休日をサッカーに捧げるなら熱い気持ちになりたい、サッカーでしか味わえないやりがいや感動を味わいたいと強く思っていた。
TOKYO CITY F.C.のことはFC.BANDELIE時代から知っていたし、友だちもいたからずっと見てきた。練習試合をしたり、SNSを通して活動の様子を見たりする中で、CITYがクラブとして変わってきているなとも感じていた。
自分自身、環境を変えようと思っていたタイミングでCITYに加入する提案をもらった。翔さん(小泉翔=クラブスタッフ)と話したり、深さん(深澤佑介GM兼監督)からクラブのビジョンを聞いたりして、直感的に「このクラブなら熱くなれそうだな」「感動できることを味わえそう」と感じたのが移籍の決め手だったね。
中でもCITYの様々な角度から渋谷区のために活動していこうという姿勢にも非常に共感している。Jリーグでも地域に根ざすクラブ作りは難しいけれど、都道府県リーグにいながらこれだけ積極的に取り組んでいるところはなかなかないと思う。
地元・渋谷区のために
俺が小学生の頃、渋谷区は東京23区で最もサッカーが弱い地域の1つだった。子どもの数も少ないし、小さい子どもたちがスポーツを頑張れる環境がまだ整っていない部分もあると思う。
一方で渋谷区からは新しいビジネスやカルチャーがどんどん生まれていくし、様々なものの中心地として新しいことを受け入れて発展させていける土壌がある。それならスポーツでも新しい価値をどんどん発信できるような渋谷区になっていったらより魅力的だよね。そこにCITYが関わることで様々な可能性を広げられるんじゃないかと思って、ワクワクしている。
渋谷区を代表する企業の1つでもあるサイバーエージェントで働く身としては、自分の仕事で地元に貢献するようなこともやっていきたいし、ゆくゆくはそこにCITYも関われるようにしていけたらいいとも思っている。
そうやってCITYの影響力を大きくしていくには、地域に貢献するための活動を続けていくのはもちろん、まずはピッチで結果を残すことも重要だよね。
だから今年は東京都社会人サッカーリーグ1部昇格は必ず達成しなければいけない目標だし、CITYにはそれを成し遂げられるメンバーも環境も整っていると思う。その素晴らしい環境を作ってくれているクラブや応援してくれているパートナーやファンの皆さんの思いに選手たちが応えなければいけない。
俺は今年で29歳になるけど、CITYには若い選手が多くて、もうベテランの域に入る。なのでチームの中心として仕事とサッカーの両立の部分やモチベーションの維持の部分でも自分から積極的に発信していかないといけないと思っている。そのうえで全試合フル出場、アシストやゴールを決めてしっかり結果で示していかなければいけない。
渋谷区出身でサッカー選手としてトップレベルのキャリアを歩んでいる選手は少ない。自分はプロ選手ではないけれど、渋谷区から市船に進んだり、関西の大学に行ったり、全国レベルの大会にも出場したり、多くの人があまりできない経験をたくさんさせてもらった。
このキャリアは自分にとって宝物であり、社会人として歩んでいくうえでも大きなプラスになっているのは間違いない。だからこそこの自分の経験をサッカーで迷っている子どもたちや学生に還元できるようになりたいし、仕事とサッカーの両立や社会人になってもサッカーを続ける意義を伝えられる人材になりたい。
なのでピッチ上で結果を残すのみならず、ピッチの外で渋谷区に根づいて貢献していくための活動にもどんどん参加していくつもりでいる。決してスタッフに任せきりにするのではなく、自分からもアイディアを出していきながら、CITYの選手として、さらに地元・渋谷区出身の選手としていろいろなことを前向きに発信していきたいね。