2022/08/20 価値観
1. 花火を見て感じたこと
身に付いた価値観をアップデートするのは難しい。
久しぶりに花火を鑑賞した。3年ぶり。
コロナの影響で自粛していた夏のイベントも少しづつ再開しだした。
夏のイベントといったら花火。
夏に打ち上げ花火を行う風習は、享保18(1733)年に隅田川で行われた水神祭が起源と言われている。
当時日本で流行していた飢饉・疫病によって多数の死者がでていた。
その死者たちの慰霊や悪疫退散のために水神祭が催され、打ち上げ花火が上げられたのが最初。
その後、夕方に花火を眺めながら夏の納涼として根付いてきた歴史がある。
花火も少しづつだが各地で開催されている。
今年は、ホテルから花火を眺めるという計画をたてた。
3年前との違いは子供がいること。
花火の人混みの中をベビーカーで移動するのは、迷惑極まりない行為。
あと子供のおっぱいタイムを考慮すると場所と時間を考える必要があり、外で花火を鑑賞するのは不可能。
導いた結論は、”ホテルから花火を眺める”だった。
焼きそばや唐揚げ、おつまみ、お酒を準備して、ホテルからの花火鑑賞を行った。
結論、”ホテルで見るより現場で見る方が何倍も良い”だ。
物足りなかった理由は下記のとおり。
・迫力がない。
・特別感がない(非日常感がない)
・高揚感がない
ホテルで見ているのでガラス越しだったため、打ち上げ時の音が小さい。そして、打ち上げ場所からホテルまで距離があったので花火自体が小さく、迫力がない。
また言わずもがなホテルは快適だ。適度な室温の中で見上げることもなく見る花火。
いつもならべたべたする暑さの中、空を見上げてみる花火とは全然異なる。
まったくと言っていいほど特別感がない。
そして人混みの中で見る花火は、とてつもないエネルギーに満ちた空間なのだということを感じた。
人が集まり、感嘆の声をあげ、大きなエネルギーが産まれていた。
知らない人たちと非日常の空間を共有するライブのような高揚があった。
その空間にいることで気持ちが高揚していたのだと思う。
ホテルではもちろんそんな高揚はない。
穏やかな気持ちで花火をみることはできるが。
同じことを今までと違うやり方で行うと色々なことが見えてくる。
もし、逆ならどうだろうか。
物心つく頃から、花火をホテルで見る習慣としていた場合、外で花火をみることをどう思うのだろうか。
※花火をホテルで見ることはあまり習慣化しなさそうだが。。。
ふと思ったのは、身に付いた価値観をアップデートさせるのは中々難しいことだ。
価値観とは、「身に付いた偏見」といわれる。
”昔からしているから”、”親に言われたから”など物事の尺度としての価値観を自分の言葉で説明できないことがある。
私も”昔からしているから(過去と同じだから)”で済ませてしまっていることが多くある。
色々と経験し、自分で考えていかなければ、価値観はアップデートできない。
当たり前のことも少しやり方を変えてみるとアップデートにつながるかもしれない。
花火は、外で見よう。
違った見方をしてみて、考え方が固まることもまたアップデータ。