たまには不死の従僕も錯誤する
第85話たまには不死の従僕も錯誤する
第85話 たまには不死の従僕も錯誤する
SF小説 ボー・アルーリン
深い星々の静寂の中を航行する巨大な航宙船シンパシック・ハーヴェイ号は惑星シンナックスに辿りついていなかった。いわゆる宇宙の迷い子。
その制御室で、ダニール・オリヴォーは目を閉じ、しばし思考を休めていた。ロボットである彼に疲れという感覚は本来ないはずだったが、今の彼にはそれがあるように感じられた。陽電子頭脳をもってしても、2万年という時の流れは確実に影響を及ぼすものらしい。
航宙船を取り巻く空間がまるで嘲笑っているかのように感じられるのは、彼の感覚が鈍りつつある証拠だろうか?いや、それとも宇宙潮流の場力に飲み込まれた結果なのだろうか。自問自答を繰り返している間にも、船内のモニターには無数の数値とデータが次々と表示されていく。
一方惑星コンポレロンでは、ボー・アルーリンが険しい表情で惑星イオスのロボット・アーキヴォーとモニターを議論をしていた。
「シンパシック・ハーヴェイ号に何か不備があったんじゃないのか?」
ボーの言葉に、アーキヴォーは冷静かつ毅然と答える。
「ボー様、我々は数千回の事前準備と、一万回に及ぶシミュレーションとチェックを実施しております。我が惑星イオスの技術を侮らないでいただきたい。」
ボーは顎を撫でながら思案していると、隣にいたイリーナが耳打ちしてきた。
「ボー、思い出したんだけどね。以前、私が話したことを面白がってくれたことがあったわよね?」
「なんの話だい?」
「ほら、ダニール・オリヴォー様と初めて会ったときのことよ。彼、自分の名前を偽名で名乗ったんじゃなかった?」
「偽名?」
「そう。確か『ダニエル・クルーソー』って名乗ったのよね?」
「ああ、それを聞いて君がその名前の由来を話してくれたんだ。古代地球の伝説、『ロビンソン・クルーソー』のことだったね。」
イリーナは微笑みながら、話の続きを始めた。
「そうよ。船が座礁して難破し、無人島で生活必需品を船から何度も持ち出して生き延びたっていう話。あのとき、私たちに必要なのは自分の残存能力の棚卸しだって話をしたわよね。」
その言葉に、ボーは思わず吹き出した。
「そうだった!確かにそういう話をしたな。」
だが、その懐かしい会話の背後には深刻な問題が隠されていた。船の荷物リストを徹底的に管理していたはずのアーキヴォーが、ある重要なアイテムを見落としていたのだ。それは病床のハリ・セルダンからダニールに託された「極素輻射体」だった。ダニールはそれを自身のマントコートの裏ポケットにしまい込み、その存在を忘れてしまってそのままシンパシック・ハーヴェイ号に乗り込んでしまっていた。
ボーはさらに事態を了解したように 「待て、待て」と回りに彼の指を45度、ユックリと平行移動した。そして惑星イオスから惑星コンポレロンに戻って来ていたロボット、プロキュラス
に向かって、「キミは大事なことを見逃してはいないか?」
「そうでした。ハリ様と別れたあと、たしか、『極素輻射体』を預かった、とおっしゃいました。ダニール様の身体検査が惑星イオスから出発される前に必要だったのです。きっとダニール様が着ておられたマントコートには、『極素輻射体』が入っているに違いありません。今となっては航宙船に届ける手段がありませんので、ダニール様がそのことに気が付かれることを祈る他ありません。」
アーキヴォーは顔を曇らせ、ボーとイリーナに報告した。だが、ボーは意外なことにこう提案した。
「知らせる必要はないだろう。ダニールなら自分で思い出すさ。」
ボーは言葉を続けた。
「ダニールが自分の故郷、惑星オーロラの近くを通過する際に、彼自身の記憶を辿るはずだ。そのとき『極素輻射体』のことも思い出すだろう。そして陽電子頭脳をもつ彼なら、数回の試行でそれを完全に使いこなすに違いない。」
イリーナは不思議がってボーに聞いた。「なぜそんなことが言えるの?」
「いいやね、今回のダニール・オリヴォーの冒険旅行のはじまりにしてはできすぎたシナリオのようだね。彼は旅行中、私のことを考えるに違いないね。とくに彼が、私になんと自己紹介してくれたと思う、イリーナ?」「なんとご自身のことを自己紹介されたのですか?」とイリーナ。
「彼は、名前こそ違うが、出身地を正直に私に語ってくれたんだよ。くじら座タウ恒星系、惑星極光(オーロラ)とね。可笑しいだろう。彼は地球軸の言葉を使ったんだ。きっと彼の故郷星の近くに通ったら、忘れていたマントコートのことを思い出し。人間的に笑い転げるだろうね!」
プロキュラスはその意味が理解できなかったが、イリーナは笑いをこらえきれずに言った。
「本当に不死の従僕もたまには錯誤するのね。」
その言葉に、ボーも思わず頷いた。
果たしてダニールは自分の役割を思い出し、この不手際を補えるのか。そして、彼が「極素輻射体」を操作し、セクション0地点に到達できるであろうか?シンパシック・ハーヴェイ号は静かに航行を続けていた。