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逃げ道のない部屋。


最近の凄惨な事件の

ニュース。

やっぱり逃げ道塞いじゃ

ダメなんだよなぁ。


世の中のしくみや法律で

未然に防ぐことを許した。


「ふせぐ」と「ふさぐ」は

文字どおり紙一重だ。


たとえば1.2.3という

3段階があるとする。


1から取り締まることで

未然に防ごうという。


3は明らかに犯罪で逮捕。

1は犯罪ではないが

悪いことにつながる最初の一歩。


仮に局面を大きく分けると

1.悪の一歩

2.中間

3.犯罪・逮捕

の3段階だとしよう。


法律が整わない時期の人間は

1のときに罰しないし

制限しようとしなかった。

結果的にできなかったから。


この場合が常であったから

周囲の人間同士がちゃんと

関わり合いがあって補っていた。

それでもダメな人はいたけど。


だから3になる前に

1の途中や中間の2で

やめなさいと叱った。


叱られたら道を戻ることも

あるんですよ。


現代は叱り方を忘れてしまい

さらに無関心の弊害もある。


1~2のあいだ、2~3のあいだ。

近くにいる人なら0~1のあいだ。


周囲は気づくことができるが

関わらないほうが強くなった。


自分に危険のない程度で関わり

気がつけば独り、という中年が

自暴自棄になり人を巻き込む。


もちろん悪いのは本人なんだが

社会も未然に逃げ道をふさいで

しまった影響もある。


逃げ道のない部屋へ押しやった。

それは社会の責任でもある。


ストレスを抱えた人間は

なんらかの誘いやスイッチで

悪の道に踏み出そうとする。


もう一度念を押すが

人によっては戻る道でもある。


やっぱりダメだよなと思い返し

あるいは他人でも近い人間たちの

叱咤激励によって

悪の道へと続く道にキビスを返し

いまきた道をまた戻っていく。


実は人間はそうやって

自分で悪いことに気づく瞬間を

その道の途中で経験している。


道をふさいでしまうと

どうなるか?

破裂するまで溜まり続ける。

その後は想像に難くない。


おそらく1の段階では

まだまだ人間は悪人じゃない。

犯罪者でもない。


しかし未然に防ぐという理由で

最初から逃げ道をふさぐと

人間はどうなるだろう?


ストレスの逃げ道を

現代人はすべてふさいで

密室へと押しやろうと

している構図に気づくはずだ。


すべての犯罪がそうとは

限らない話だが。


私たちは怖がるあまりに

人間を逆に不自由にして

ストレスを抱え込ませる。


人間、悪の心は誰にでもある。

悪の道すがら誰かに助けられ

または逆に誰かを助ける。


そうやって互いに補完し合い

生きてきたのではないだろうか?


世知辛い世の中だと

クチでは言うけれど。


厳しく追い込んでいく

社会のしくみや雰囲気も

大罪に相当するのでは?


誰にでも間違いはあり

後悔はあるだろう。


それは必ずしも

逃げ道をふさいだ部屋の中で

独りで抱える問題ではない。


悪の道の途中で他人の叱咤や

懸命に本気で怒り連れ戻す。

この過程を奪っている。


やはり私たちはやりすぎてる。

やりすぎは、やがて自分自身にも

忍び寄ることを忘れてはならない。


まぁ極端な構図かもしれないが

あながち間違いとも言いきれない

部分もあるのではないか。


ブルーハーツの「少年の詩」という曲。

アレを不意に思い出してねぇ。


アレを聴いたときはまだ中学生かな。

当時、社会の歪みの前兆

みたいなのがあったわけだから。


見えないところでズレてしまって

30年以上経ったいま、こうして

逃げ道なくした大人が出てるような。


やっぱ、なんかおかしいんだよ。

うまく説明できないんだけどね。



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