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VSE車に最後に乗った日の事
小田急電鉄が運用する特急電車、通称「ロマンスカー」にて、VSE車と呼ばれる種類の車輛がありました。
思えば大學時代、驛のプラットホームを颯爽と通過していくその白い車軆はとても印象的であり當時貧乏だった私にとっては憧れの列車だったのでありました。
そんな小田急ロマンスカーのVSE車ですが、遂に今年の年末にその最後の時を迎える様であります。
運用開始が平成17年。
車齢としてはまだ若く、耐用年数を鑑みてもまだまだ未來ある車輛の様に思えましたが、様々な車輛機構が維持の面に於いて難がある様で、昨今の後退した社會情勢の中では非合理的な存在になってしまったのであろうと個人的に悔やまれる次第であります。
車輛と車輛の間に台車を置く連接機構。そして曲線通過時に車軆を傾ける仕組み等で揺れや振動も少なく、乗り心地は最高です。
車輛デザインも外部デザイナーにより上品で落ち着いた印象…。
實に惜しい事であります。
その価價ある特急電車には私も箱根旅行の折にしばしばお世話になっておりました。
そしてその車輛に最後に乗ったのが丁度3年前の先週の今日、時に令和2年11月7日の事でありました。
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今は亡き新宿驛は特急乗り場附近に存在したロマンスカーラウンジにて輕食を取りつゝ、行き來する特急電車を眺めている上質な時間を過ごしておりました。
このラウンジも鬼籍に入り過去のものとなりました。
昔はこうした樂しみもまた旅の内でありましたが、イマドキは段々に旅人もこうしたひと時の清涼を忘れてせわしなくつまらない空間に放り投げられる様になっていく様です。
學生時代は専ら通勤車に乗っていた身の上、このラウンジを利用出來る喜びもまた格別でありました。
旅の供の特急券も誇らしく、その券面には先頭車両の番號が記されているのでありました。
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やがて箱根の風景や歴代のロマンスカーの繪が記された壁に沿って伸びるプラットホームに滑る様にして列車がやって參りました。
これぞ「白いロマンスカー」であるVSE車なのであります。
その流麗なフォルムたるや、まさに流れるボディ。
これこそ特急、即ち「特別急行列車」の名に相應しい名車であります。
前面のロマンスカー60周年記念のエンブレムも誇らしげに發車準備に取り掛かるのでありました。
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社會人となり晴れて私も給與所得者となって久しいのでありますが、この「自分の為に使えるお金を作る」と云うのは或いは日々の苦労に於ける最高の對価なのではなかろうかと存じます。
さあ、社會人として胸を張って先頭車輛に乗り込みます。
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丁度、事前に豫約しておいた驛辯が座席に届きました。
私の様な一庶民でも乗務員の方がわざわざ座席迄届けてくれる辺り、今日の後退した社會では不可能になってしまった温かなサービスではなかろうかと存じます。
この日は友達と3人での旅。窓際のテーブルも一段と賑やかであります。
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列車はいよいよ新宿驛を發車致します。
程無くして地上へ出て大きな踏切を越えた辺りで、ミュージックホーンも高らかに超高層ビル群を飛び出し、沿線に迫る住宅地を掠め、車軆を傾けて幾重にも續く急カーブを曲がり、徐々に速度を上げていきます。
窓際の飲食物がその樂しさに華を添える様であります。
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驛辯や酒は列車が走り出してから戴くのが私の「ポリシィ」であります。
連接台車の奏でる「カタン……カタン……」と等間隔で響く独特のジョイント音に代々木上原驛附近迄の速度を落とした區間のブレーキ音を耳に超豪華な「小田原提灯弁当」を戴きます。
嗚呼、學生時代は毎日の様に見たこの沿線の風景がこんなにも美しかったなんて、やはり歳を取ったのだと思うひと時。
通勤車のベンチシートからの眺めとは比べ物にならぬ位にそれは私達に文字通りの浪漫をもたらしてくれます。
そう。これは「ロマンスカー」なのです。
然るに單なる移動手段ではなく、浪漫を感じて然るべき。
乗車している事實を以って樂しむ事と致しましょう。
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まずは車内々装、俗に言う「アコモデーション」を見てみます。
後席と雖も流石は先頭車輛。3面方向から窓の景色が流れ込んできます。
やはり小田急ロマンスカーとはこうでなくてはなりません。
天井はアーチ状のボールト天井。
この天井を文字の起こし、Vault Super Express。即ちVSE車と呼ばれているのであります。
また車内には本物の木材を使用しており、とても温かみがあります。
やはり本物は強いのです。それっぽく見せかけてある化粧板を使っている車輛とは比べ物になりません。
昔、静岡縣某所を走る蒸気機関車の牽引する旧形客車に乗ったのが鐵道車輛で木に触れ合った最後の思い出でしたが、木材が使われなくなって久しくある中で嬉しく思える佇まいであります。
まるでリビングルームでくつろいでいるかの如き雰囲氣。
イマドキの車輛や利用客はこう云う贅澤さを忘れてしまったかに思えます。
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思い出深き大學のキャンパスが見えてきました。
いつもいつも見ていた景色も今となっては懐かしいものです。
特急車内のリクライニングシートで麥酒を呑み乍ら見る景色に、お世話になった大學へ一礼。
お陰様でなんとかこうして社會人をやらせて戴いております。
さて驛辯を平らげて、ここいらで甘味と珈琲等を愉しみたいものです。
こんな事もあろうかと、車販にて購入した物を片手に私は席を立って或るとっておきの場所へ移動するのでありました。
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ここは元々賣店の在った場所です。
折しも傳染病の為に營業を休止しておりますが、この窓際のカウンターがこの列車の穴場なのです。
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迫りくる相模路の山々。箱根に着實に近附きつゝあるこの景色をこの大きな窓一枚占有して眺め乍ら頂戴する珈琲は、まさしく格別の贅澤であります。
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景色に對面する形で流れゆく車窓を愉しみ乍らの珈琲タイム。
列車の揺れを大地を踏みしめる足で感じ、立って飲むのがまた一興。
座席では味わえぬ安らぎのひと時です。
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こう云う樂しみは多くの人から忘れ去られてしまっているかの様です。
折角の特急、それもVSE車ならではの樂しみ方だと思うのに勿体無い事であります。
この鳥渡した事が旅の面白さをより大きくするものであります。
今では誰も居ない賣店コーナーの通路の端っこで私は一人、邪魔にならない様に旅情に耽るのでありました。
尚、この賣店コーナーはVSE車にしか無い設備なのです。
後続の新型車にはこう云うものすら無いのです。
昔は注文すればお洒落な乗務員の方が座席迄持ってきてくれた「走る喫茶室」なんて呼ばれていたロマンスカーですが、段々とそうした上質のものは「時代の流れ」と云う名目の下、無くなっていくのであります。
後に残るのは飽く迄も出費を抑えた「安っぽいもの」なのかもしれません。
私も決してカネモチではない身の上ですが、せめて今最後に残ったこうした「上質な時間」を大事にしたいと思っております。
席を立ってほんの数分。誰もが忘れ去って見向きもしない場所にそれが在ったのでした。
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暫しの「喫茶」を満喫して席に戻って參りました。
やはりこの車輛は名前の由来にもなっているこの弧を描く天井の美しさ。
その天井高の解放感たるや往年の名車「国鉄583系」の昼行特急を彷彿とさせます。
揺れも少なく音も静か。
緑も深くなって愈々箱根路は間近であります。
程無くして目的地の箱根湯本驛に到着した我々は登山電車に乗り換えるのでありました。
續く…