最後の月
愈々今年も12月を迎えました。
1年は斯くも早く過ぎにけりと言うところであります。
さてこの12月が今年最後の月であるのは言う迄もありませんが、この車輛にとっても最後の月となる見通しであります。
豫定では今月半ば頃に完全に運轉を終了するとの事でありました。
遂に最期の時がやって來たのです。
この日の帰りの便も勿論この特急でした。
前回の續きにて箱根はユネッサンからバスで小田原迄やって參りましたが、乗車前に鳥渡一杯…。
ほろ酔い氣分で小田原驛へ…。
東海道本線には乗らないのでこちらの改札を素通りして小田急線乗り場へ向かいます。
見上げれば何かの骨格の様な面白い天井。
こう云うのを發見するのもまた構内を歩く樂しみです。
プラットホームに停車中のVSE車を観察。
車輛と車輛の間に台車のある特殊な構造。これを称して「連接車」と云うのであります。
その連結面の隙間には複雑な機械が覗き見えます。
これが車輛の揺れを抑える働きがある様で、乗り心地の秘訣なのです。
尚、この車輛は現時点に於いて日本の鐵道で最後に造られた特急用車輛の連接車となっております。
さあ出發時刻が近附いてきました。最後の特急に乗り込みましょう。
帰りの便はこの様に半個室席を確保。
鳥渡贅澤にゆったりとした旅路を満喫致します。
この席もVSE車ならでは。こう云う庶民でも心豊かな旅情を味わえるものが無くなってしまうのは残念以外の何物でもありません。
さあ、おっぱじめましょう!
我々はこの列車に数区画しか無い特別な席に座っているのです。
公共交通機關を利用する給與所得者としての紳士たる態度を取りつゝ、静かに仲間との酒宴を樂しみます。
サルーンの席のすぐ傍には例のカウンターがあります。
そこで3人並んで夜景を樂しみつゝ、酒を傾けます。
そこは恰も夜景の見える高級なバー。列車の走行音が酒を旨くする音色豊かな音樂を静かに奏でている様です。
嗚呼、人生とは何ぞやと問答が始まります。
それは日々苦労して時々こうして愉しみを享受する事なりと答える者有り。
また一人、窓硝子1枚を隔てた隣の線路を走る通勤車を見ては日常の紙一重に非日常を説き、つまりはこれが人生なのだと悟る。
普通の座席では味わえない高尚な時間が過ぎていきます。
たとえどれだけ物理的に快適な座席を提供しても、こうした非日常を愉しめる空間には及ばないのだと思います。
なかなかお目に掛かれない場所だからこそ旅もその分だけ樂しめます。
即ち、物理だけに傾倒するのではなく、旅情と郷愁を樂しむには心や精神が快適であるべきなのであります。
このカウンターのある大きな窓から眺める景色は箱根の山々から、やがて都心のきらびやかな景色へと変わっていきます。
程無くして新宿驛に到着。
こうして小田急ロマンスカーのVSE車に今生の別れを告げたのでありました。
斯くして箱根の旅を終えたのでありますが、旅の思い出はいつも手元にあります。
あの時乗った列車、樂しかった思い出、全てが寶物です。
そしてあの時感じた旅情が心の糧となり、日常生活でも何らかの形で役に立つ事もありましょう。
もう二度と經驗すべくも無い消えゆく車輛ですが、こうして何かの形で残す事で惜しくも過去のものになってしまったとしても、その樂しかった時代を追軆驗出來得るものになるかもしれません。
そしてどこかで形を変えて生き續ける事でしょう。
良きものが無くなる時、私は決してそれが完全に消滅するものでないと思うのです。
思い出、記憶、經驗、そして見聞した知識。
いづれにしても何かが残る筈でありますから、我々はそれを活かせばよいのではなかろうかと存じます。
尚、余談でありますが、このVSE車…。
新宿驛の小田急線乗り場附近に在ったお店で模型を賈ってしまいました。
今ではこれも私の大事なコレクションの一つです。
思い出のある車輛を眺めていると、やはりあの頃の樂しかった旅の記憶が蘇ります。
しかもこの模型を購入した際に特別に實車のパンフレットもオマケで附けて戴きました。
VSE車がデビュー時の物ですが、小田急ショップの袋と共に大切に保管させて戴いております。
以上を以ちまして箱根の旅の記事を終了致します。
終わり