繪本の思い出を辿る旅・番外篇
…さて、閑話休題。
先日來綴っております都電の「繪本の思い出を辿る旅」ですが、ただ繪本の場所だけを巡っていた訳ではなく實は色々に寄り道をしておりました。
それは本篇の鬼子母神様や町屋の銭湯等、私の旅路は往々にして寄り道ありきなのです。
そこでこの番外篇では都電の旅の寄り道を載せておく事に致します。
まず、都電の旅路で必ず寄らなければいけない「聖地」と勝手に決めている驛があります。
その一つがここです。
梶原驛。
ここには都電を語る上で外せない或るお菓子のお店が在るのです。
それがこちら。言わずと知れた「都電もなか」です。
この様に都電の車輛を模した箱に入っています。
デフォルメされているとはいえ、その車輛の特徴を充分に捉えており、きちんと細部まで表現されているのです。
おまけに一部は實寫取込みの箇所もあり乗客までちゃんと乗っており、なかなかのこだわりです。
私は迷わず繪本と同じ7000形電車の箱を賈いました。
もなかの箱になっているのはその29番、即ち7029號です。
箱の中身はこれまた電車を模った最中が入っています。
中は餡子が詰まっているのですが餡子の中には求肥が入っているので食べ応え抜群です。
昔はこれで賣っていた様ですが子供が最中で遊んでしまう為、箱に電車のデザインを施したとの事である様です。
實は私が御幼少の頃、この空き箱がお氣に入りの遊び道具でした。
親父の働いていた場所が丁度梶原だった時期があり、その時に稀にお土産で都電もなかを賈ってきてくれたのですが、これにはもう歓喜感激でした。
電車のおもちゃが好きだったので、この空き箱でよく遊んだものでした。
しかも1つのパッケージに14個入っているので、いっぺんに都電のおもちゃを14個手に入れた様なとても贅沢な氣分になれたのです。
車庫の如く並べてはよくチラシの裏なんかに線路と停留所と信號機等を描いて、その上を走らせていました。
路面電車なのでミニカーと共演する事も多かったのです。
この思い出はとても大切なものなので當時の7500形更新車の空き箱を1つだけ實家で大事に保管しています。
だいぶ日に焼けて色が褪せておりますが、この箱は現在生産されていないのでとても貴重品だと思っています。
尚、この最中を賈う時は「1個、2個…」と云った数え方ではなく車輛と同じ「1輛、2輛…」と数えるのがツウです。
「〇〇形を1輛」と注文するとお店の人は少しお喜びになった様な表情になります。
梶原の町はマンホールの蓋もこの通り。
(下の方に私の下駄が寫ってしまっているのを氣にしてはいけない)
梶原の次に立ち寄ったのが荒川車庫前です。
これは本篇でも下車した驛ですが、折角なので車庫を見學していきました。
昔の車輛が展示してあります。
1系統、方向幕に「銀座」とあるのが歴史を感じます。
木貼の床に上半分が固定窓となっている通称「バス窓」そして天井には扇風機が並ぶ「あの頃の電車」なのです。
私が御幼少の頃は都バスの床がまだ木だったのを覺えております。
今ではまず見かけない床ですが、どこか温かみが有って好きなのです。
なにかと冷たい感じの車輛ばかりの今日、それは遠い日の夢か幻の様であります。
敷地内の自販機もこの通り都電の色です。
今はなんだかカラフルになってしまいましたが、都電と言えば「黄色」だったのです。
折角なのでリアルゴールドを賈っておきました。
これで元氣百倍であります!
この荒川車庫前の次は當然、荒川遊園地前驛に向かいます。
ここも都電の聖地…と勝手に決めつけていますが、思い出の澤山ある場所なのです。
遠い昔、よく親に連れて行ってもらいました。
あまりこう云う場所でキャメラを構えていると「怪しい人」になってしまうので寫眞を撮るのに苦労しました…。
恐らく東京で最も小規模な遊園地の一つではなかろうかと存じます。
しかし、成りは小さくともそこはまさしく夢いっぱいの場所なのです。
小さな動物園も併設されており、一日中樂しく遊んでいた思い出があります。
大好きな都電に乗ってのそれは本當に夢の様な一日だったのです。
個人的には超小型版ジェットコースターが好きで非常に小規模且つゆっくり走るのですが車軆が小さく、あちこちでガタガタ揺れるので別の意味で怖いジェットコースターでした。
當時はまだ小さく、一般的な絶叫マシンに乗れなかったのでこれが本當に樂しかったのです。
その他、この遊園地で遊んだ際は必ず立ち寄る駄菓子屋兼鉄板焼き屋さん等、26年の時を經て降り立ってみると懐かしさで胸がいっぱいになる様でした。
何故か不思議な事に今なら自轉車で数十分もあれば行ける様な立地なのに、遠い遠い別の世界の様に思えてなりません。
この3ヶ所は絶対に外せない場所として「繪本の思い出を辿る」以前に必ず立ち寄る事を決めていたのでした。
26年も經って大人になった私にも優しく語り掛けてくれた繪本に心から「ありがとう」と言いたいのであります。
もう繪本の電車が線路の上を走る事はありませんが、何年經とうが都電は都電です。古參の方は「荒川線」と呼びます。
つい最近ゴリ押しされているヘンテコリンな「キラキラネェーム」では呼ばないのです。
事實、私だけではなく地元の人の多くはイマドキの変な名前では呼んでおりません。昔から親しんだ都電、若しくは荒川線なのです。
その昔からの大切な名前を蔑ろにする事など出來よう筈が無いのです。
それと同じく、どんなに時代が変わろうが私の思い出は決して変わる事は無いのだと思います。
これからも澤山の思い出を乗せてベルの音も高らかに出發進行!
はしれちんちん電車!
いつまでもいつまでも…。
尚、7年前のこの旅で賈った都電もなかの空き箱は今でもこうして取ってあります。
これも大事な旅の思い出ですから…。
當時の賞味期限もその儘に、これにて都電の「繪本の思い出を辿る旅」は終着驛に到着したのでありました。
映画一巻の終わり…。