父ちゃんの葬式の日、葬儀屋のじいさんのものまねで親戚中から爆笑をとった14歳の僕
先日、家族のLINEグループに母ちゃんからメッセージが入った。「今日はお父さんの18回目の命日です。手を合わせてくださいね。」僕を含めた4人の兄弟はそれぞれ返信した。そしてひとつ年下の妹が「かずくん(僕のこと)、お茶の水博士ヘアーの葬儀屋さんのものまねでみんなを笑わせてたね」母ちゃんが続く。「あれにどれだけ救われたことか」
お坊さんのお話から、お経の間、お骨拾いの最中も悲しみに暮れた家族をはじめ、親戚中のみんなを"笑ってはいけない葬式"状態にさせた事を振り返ってみた。
なぜか冷静だった
6月初めのある日曜日。中学2年生の僕は、野球部の練習試合で隣の市の中学校にいた。田舎の学校で部活をしていた人はわかるだろうが、電車の本数が少ない田舎町では学生が電車で練習試合や他校に向かうということは割と珍しい。学校所有のマイクロバスか、保護者の方々の車に乗り合わせての移動が多い。しかし、その日は皆、電車で移動した。もちろん帰りも電車の予定だった。
試合の最中、セカンドを守っていた僕の目に入ってきたのはバックネット裏に見覚えのある車。叔父さんの黒いワゴンだ。嫌な予感とは不思議と当たるもので、胸がザワザワしていた。試合は終盤だったので、終わったタイミングを見計らい叔父さんは車から降りて部長先生の元へ駆け寄った。なにやら話し込んでいる。
「多分、父ちゃんがなんかしたか、死んだな。」
そう思った。部長先生が僕のところに来て「荷物まとめて叔父さんの所へ行ってくれ」と僕に言った。余計に、そうなんだなと思った。
車へ入り叔父さんは運転席ではなく後部座席の僕の隣へ来て話始めた。「かずき、落ち着いて聞いてくれよ。お父さんが、、、亡くなった。受け入れられないかもしれないが、、、」やっぱりそうだった。ちなみに、父ちゃんはどこか身体が病気で悪かった訳ではない。事故でもない。しかし、心の病ではあった。このことから何で亡くなったかは容易に想像つくと思うので、そういう事で。話は戻り会話の続き。「おじさん、わかりました!とりあえずお腹空いたので、途中コンビニ寄ってなんか買って!食べながら帰る」そう言った僕におじさんは「衝撃が強すぎたか。バカが、加速してしまったかもしれない。」と思っただろう。違う。本当にはらぺこだったのだ。車は走り出した。
コンビニに寄り、おにぎりとジュースを買ってもらい、車内ではその日の野球の成績の話をした。叔父さんには気丈に振る舞ってたように映ったかもしれないが、そんなことはなく野球の話をしたかっただけだ。確かに父ちゃんが亡くなった実感はまだ湧いていなかったが、それよりも妹と母ちゃんのメンタルが心配だった。
帰宅すると、高校生の次男と、大学生で東京にいた長男はまだおらず、親戚多数、母ちゃん、「故」父ちゃんがいた。皆、涙を流していた。母ちゃんは何故か僕に「ごめんね」と言った。その瞬間だ。涙がどーっと、どーっと出てきた。僕はさっきまで気丈に振る舞ってた、訳では絶対にない。父ちゃんが亡くなった事が悲しい気持ちよりも、母ちゃんが悲しんでる事が猛烈に悲くて泣いた。それには理由がある。
実は父ちゃんは心の病だったそう。だからか。納得がいく。気分の浮き沈みがとても激しかった。意味のわからない行動をとったり、急に怒鳴り出したり、友達の前でも変な行動をとったり、母ちゃんに対して怒ってばかりで思春期の僕たちからしたら、嫌な父ちゃんだった。大嫌いだった。だから自然と兄弟皆、母ちゃん味方!の様な感じになってしまっていた。父ちゃんが飲んでた薬が何だったのかなんて僕ら子供は理解していなかったから、今思えば、父ちゃんには申し訳ない。理解した上で、優しくしたかった、という後悔もある。ごめんな、父ちゃん。
お通夜から、僕の単独ライブは始まった
その日の夜、兄2人も帰ってきて、親戚中の皆が集まった。我が家は両親とも兄弟が多く、親戚中が集結すると20人程になる。そして皆とても明るい。僕は幼少期から兄貴の真似をして皆を笑わせたり、ひょっとこのお面をかぶってお盆でち◯ち◯を隠して踊る、言うなれば「おばた100%」をしたりと、わかりやすいひょうきんものだった。
どんよりとした空気の中、僕は、親戚の皆が知っていて何度も何度も話したことのある父ちゃんの「すべらない話」をした。この話は、何度話しても皆笑う。そしてこの日も、皆笑った。そこから我がおばた兄弟は「父ちゃんのすべらない話」を順々に繰り広げた。親戚一同皆笑い、手を合わせにくる父ちゃんの知り合いや、僕の友達や先生は「なんて不謹慎な家なんだ!」と思った人もいただろう。それくらい、明るく通夜を過ごした。
母ちゃんは、まだ、悲しそうだった。
葬式の日
夜が明けて、葬儀場での葬式。
うちの近所には葬儀屋さんがある。ご近所さんなので、昔から顔馴染みだ。葬儀屋のじいさんの見た目は、鉄腕アトムのお茶の水博士そのもの。てっぺんはツルッとしていて、頭のサイドは白髪もじゃもじゃドーナッツ。すごくおもしろい。その葬儀屋さんが担当してくれた。
僕は葬儀屋のじいさんのものまねをすぐ習得した。癖が強かったんじゃ。ご近所さんなので、じいさんは父ちゃんのこともよく知っていた。父ちゃんとの思い出話も、父ちゃんが入った棺桶の作業をしながら話してくれた。「お父さんはね、君達がまだ小さいこ南妙法蓮華経、、、」ん?んんん??んー!?話の流れですーっとお経に入る。グラデーションなく、お経に入る。そんな癖があったら、わしゃマネるやろ。これを完璧に習得した僕は、葬式の合間に隙を見つつ皆に披露した。さすがに少し怒られた。
火葬の後はお骨を拾う。さっきのものまねが効いているのか、じいさんが「あ〜、肺のあたりの骨がやっぱり黒いねぇ。お父さんタバコよく吸っ南妙法蓮華経」癖が出ると、親戚は、堪えている。母ちゃんは、ちょっとだけ笑ってる。
そしてまた事件が起きる。よく見ると、灰となった父ちゃんの細かい骨が、じいさんのドーナッツ部分にいくつも乗っていた。僕はそれを皆に知らせ、小さな声で「父ちゃん」のアテレコをする。
「おーい!下ろしてくれー!お父さんをこっから下ろしてくれ!!葬儀屋さんから下ろしてくれー」。まず、妹が思わず吹き出した。そして、皆笑った。母ちゃんは、涙を流して笑っていた。
今でも、父ちゃんが亡くなったときの話になると、毎回母ちゃんは笑いながらこの話をする。
笑ってくれることが幸せだ
とてもありがたい事にSNSのメッセージなどで「お兄さんのおかげで笑顔になれます!」「旦那と喧嘩してたけどお兄さんの動画の話で仲直りしました」「仕事嫌だけど、頑張れます!」という様なメッセージが毎日の様に届く。正直、毎回ほんの少し泣きそうになる。やっててよかったぁ。と本気で思う。みんなは感謝してくれるけど、こうやって続けられるのはみんながこんな素敵なことを言ってくれたり、楽しんでくれるからむしろ僕が感謝している。
あの時みんなを笑わせようとしていたのも、ただ楽しんで欲しかったからだと思う。僕が何かやることで、少しでも楽しい瞬間があったら幸せだ。もちろんお笑い芸人になった理由は、いいもん食って、いい家住んで、いい女おっとっと。とまぁ、ベタな理由だし、今だってもっと売れてこれを実現したいけど(いい妻だけだけは夢が叶った)、根本はこれなんだと思う。
「おもしろくありたい」の前に、「楽しんでもらいたい」
あの時の爆笑を超える爆笑を、家族としてではなくてプロとして取れるようにまた頑張ろう。