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「これがヒズボラだ」---抵抗/レジスタンスはどう戦うか。
「ヒズボラとは何か」との問いに対する回答の一つを見つけた気がするので全訳し共有したい。その前に、現在60日間の停戦中にある今回のイスラエルによるレバノン侵攻を簡単にさらっておく。
イスラエルはレバノン第三次侵攻を2024年9月17日18日に、ヒズボラのメンバーだけでなく、レバノンのシーア派コミュニティに広く普及している携帯通信機器を同時に爆発させる無差別テロで開始した(これについては稿を改めて書くつもりだ)。その後、同月23日に南レバノンやベイルート南郊ダヒヤ、北東部バールベックなどへの空爆に拡大し、同時にヒズボラの司令官たちを集中的に次々暗殺し始めた。暗殺されたリーダーたちの中にヒズボラの事務総長を30年以上務めたハッサン・ナスラッラーも含まれる(9月27日暗殺)。
つまりこの9月17日に始まる10日間余りのうちに、ヒズボラは数千人の戦力を死傷により(一部は永遠に、残りは少なくとも一時的に)失い、主要な通信手段の一つを失い、十数人に及ぶリーダーたちを失った。組織としてもはや壊滅同然と見なされていたのも無理はない。イスラエルはそう信じた。メディアのほとんどもそう解説した。
そのタイミングを見計らい(というか、そもそもそういう筋書きだったのだろう)、イスラエルは9月30日に「限定的」と定義したレバノン南部への地上侵攻を開始した。侵攻の(表向きの)目的は、ヒズボラをリタニ川以北まで撤退させてイスラエル国境との間に非武装地帯を作り、2023年10月8日にヒズボラが「ガザ連帯戦線」を開いて以降、国内避難民になっている住人を北部の入植地に戻すこととされている。
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イスラエルは国境線を明確にしていない(おそらく)世界で唯一の国だ。それはイスラエルの拡大主義に理由があり、国境は流動的で(イスラエルにとり)拡大方向に動くと想定されているからだ。イスラエルとレバノンの間の国の境は「ブルーライン」と呼ばれており、イスラエルが以前レバノンに侵攻・占領した際に「ここまで兵を引け」と国連に決められた暫定撤退線だ。
以下は、このブルーラインを挟むイスラエルの特殊部隊とヒズボラ戦闘員との攻防を映した動画だ。画面の奥が照明弾で照らされているので、イスラエル軍/イスラエル領側から映したものと思われる。
عاجل⛔️معارك طاحنة تدور الان بين القوات الخاصة التابعة لجيش الاحتلال الاسرائيلي وكتائب الرضوان التابعة لحزب الله على الحدود اللبنانية الاسرائيلية
— Dr.Sam Youssef Ph.D.,M.Sc.,DPT. (@drhossamsamy65) September 30, 2024
pic.twitter.com/QmusEWafJL
イスラエル軍の地上部隊(国境越え特別部隊)に対し、国境線を守るヒズボラの戦い方は以下のようなものだ。ヒズボラには対戦車部隊、ロケット部隊、ドローン部隊などの専門部隊や、空挺部隊との戦闘や捕虜確保などの特別作戦を任務とする精鋭部隊ラドワン(約3000人と言われている)とは別に、一般戦闘員(平時は仕事を持つパートタイムの兵士など)で構成された数万人の歩兵の一群がおり、この一般戦闘員たち/歩兵たちが国境線に近い集落に派遣されると言われている。集落の規模や地形などにより派遣される人数にはばらつきがあるようだが、概して少人数だ。これらの戦闘員たちの任務はその集落をイスラエルの侵略から守ることで、死傷により途中で員数が減っても最後の一人まで、あるいは弾薬が尽きるまで戦うと聞いた。イスラエル軍が陣地を確保できた時は、その集落のヒズボラ戦闘員が全員死ぬか弾薬が尽きた時だ、とのことだった。
では実際に何が起きたか。最大時には5師団(7-8万人)をブルーラインに招集したにもかかわらず、イスラエル軍はほとんど南レバノンに侵入できなかった。時おり、わずかな距離をレバノン側に侵入して民家やランドマークなどに旗を立てプロパガンダ用の動画を撮影し、またイスラエル領に戻っていくことが何度か繰り返された。最も深く侵入し陣地を作れた場所でもブルーラインからの距離は1キロメートルには満たなかったと思う。
11月27日午後4時、イスラエルとレバノン(ヒズボラではなく)は60日間の停戦に入った。この60日間に、1)ヒズボラはリタニ川以北まで後退し、2)イスラエルは60日以内にレバノンの全領土から撤退すること、これらの実施を、3)監視・監督するためにレバノン国軍がヒズボラに代わり南レバノンに派遣・配置されることなどが決められている。実際に起きていることは1番のみで、ヒズボラはリタニ川以北に撤退したが、イスラエル軍は毎日、停戦違反を繰り返し、レバノン国軍はそれを止めることができない。
60日間の停戦が発効した11月27日、ソーシャルメディアでレジスタンスを応援する人々の間に喜びの声が広がった。イスラエル軍との攻防で殉教した(戦死した)と発表されていたヒズボラ戦闘員のうち17人が生き延びていて連絡が回復したとヒズボラの作戦本部が発表したのだ。
レバノン停戦(記録として):
— Midori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店 (@midoriSW19) January 2, 2025
イスラエルの侵攻中に殉教したと見られていたヒズボラの戦闘員17人が、停戦発効後、生きていた事がわかった。この全員がイスラエルとの国境の村々の守備に派遣され、イスラエル軍との戦闘後に連絡が途絶えていた。彼らはそれらの村々で数週間生き延びていた。(24.11.27)
以下は、その生き残った、家を出るときに一度死に、生まれ変わって戻ってきた17人のうちの一人の物語だ(全訳)。
A legend from South Lebanon, from Jabal ‘Amel El Sayed Hassan, during the war… On day 40 of the war, a young man received a call from his brothers in the Islamic Resistance in Lebanon. He was informed that he had to be ready within an hour to go to the frontline, & to prepare… https://t.co/RRlfUAc5xf
— د (@trhxianl) December 25, 2024
この戦争中にあった伝説的な話をしよう。それは南レバノンのサイード・ハッサン(・ナスラッラー)に祝福されたジャバル・アメル村の伝説だ。…戦争の始まり[*文末参照]から40日目にあたる日に、ある若者がレバノンのイスラム抵抗運動[ヒズボラ]の仲間から電話を受けた。前線に向かう時がきた。1 時間以内に所持品をまとめ、出発の準備を整えなければならないと告げられた。そこで若者は荷物をまとめ、家族に別れを告げた。古くから言われているように、「戦争に行く時は死者として、戻ってくる時は生まれ変わって」ということを彼は十分理解していた。
A legend from South Lebanon, from Jabal ‘Amel El Sayed Hassan, during the war… On day 40 of the war, a young man received a call from his brothers in the Islamic Resistance in Lebanon. He was informed that he had to be ready within an hour to go to the frontline, & to prepare his belongings. He thus packed his things, bid farewell to his loved ones, fully aware that, as the saying goes, “He who leaves for war is lost, & he who returns is reborn.”
若者は出発し、仲間たちはレジスタンスのやり方に従って、彼を、目的地から数村離れた地点まで連れて行くことに成功した。仲間の一人が彼にこう言った。「私が君を連れて来られるのはここまでだ。ここからは君一人だ。気をつけて、十分に用心しなさい」
He departed, & following the Resistance’s methods, his companions managed to bring him as close as a few villages away from his destination. One of the brothers told him: “This is as far as I can take you. From here, you’re on your own. Take care & stay cautious.”
若者は歩き続けた。上空をイスラエルの監視ドローンが飛び交っているので、慎重にゆっくりと進まざるを得なかった。時にはわずか10メートルを横切るのに30分もかかった。このような旅程の危険と疲労と困難さは容易に想像がつく。
The young man continued on foot. The skies were teeming with surveillance drones, forcing him to move carefully & slowly—sometimes taking half an hour to cross a mere ten metres. One can easily imagine the peril, the exhaustion, & the hardship of such a journey.
彼は四日三晩、荒々しい地形の中を歩き、野外で眠り(後に彼は「キツネと野生を共有した」と言った)、ついに目的地、つまり計画に従ってあらかじめ合意されていた地点に到着した。
For three nights & four days, he trekked through harsh terrain, sleeping in the open (sharing the wild with foxes, as he later put it) until he finally reached his destination—an agreed-upon point as per the plan.
その村の外れに着いたとき、若者は自分が一人ぼっちであることに気づいた。落ち合うはずだった仲間たちはみな殉教して[戦死して]いたのだ。この現実は重い。言葉にするのは簡単だが、そこに在る感情はとても言い表せるものではない。
When he arrived at the outskirts of the village, he discovered that he was alone. The brothers he was supposed to meet had all been martyred. The realisation is heavy… though the words are easy to write, the feelings they carry are beyond expression.
その時、彼には二つの選択肢があった。
1. そこから撤退し、その理由を自分自身に対し正当化する。自分は一人きりで、通信手段もなく、弾薬も限られており、食料も水もなく、勝算は低い。論理的には撤退すべきだろう。
2. そこに留まり、自分の拠って立つ場を守り、何が起ころうとも神の意志を信じ、自分の力で計画を遂行する。
Standing there, he faced two choices:
1. Retreat & justify it to himself—he’s alone, has no means of communication, limited ammunition, no food or water, & the odds are against him. Logic would say retreat.
2. Stay, hold his ground, & carry out the plan on his own, trusting in God’s will for whatever may come.
若者は一瞬もためらわなかった。全くジレンマはなかった。彼は、イマーム・フサイン(彼に平安あれ)のように、死ぬまで戦い、敵が、少なくとも一発の銃弾も撃たれずには進軍できないようにしようと決意した。たとえ命を失っても、自分の抵抗が敵に、その地域には抵抗する戦士が大勢いると信じ込ませ、進軍を思いとどまらせられるかもしれない。
The young man did not hesitate for a moment. For him, there was no real dilemma. He resolved to fight to the death, just like Imam Husayn (peace be upon him), ensuring that the Enemy couldn’t pass without at least one bullet being fired in defiance. Even if it costs his life, perhaps his stand would deter the Enemy, making them believe the area is full of fighters ready to resist.
後に誰かがこの選択について、なぜこの状況で、ほとんどの人が普通そうであるように躊躇したり恐れたりしなかったのかと尋ねたとき、彼はこう答えた。「これは私たちの存在をかけた戦いです。私たちが勝つか彼らが勝つかだ。サイード(・ハッサン・ナスラッラー)はもういない、そしてこれは彼が私たちに託した信頼です。私はそれを尊び、彼の血(犠牲)にふさわしい人間だと証明しなければならない。サイードは私たちにすべてを与えてくれた。すべてだ。自由や命さえも、自分が差し出せるものは一つも惜しまなかった。ここに至って言い訳や正当化の余地はありません」
When someone later asked him about his choice—why he didn’t hesitate or feel fear, as most people naturally would in such a situation—he replied: “This is a battle for our existence. It’s either us or them. Sayed is gone, & this is his trust. I must honour it, prove myself worthy of his blood. Sayed gave us everything—everything. He never withheld a single thing he could offer, not even his freedom or his life. At this point, there’s no room for excuses or justifications.”
https://x.com/trhxianl/status/1872058584567312723
Once settled, the young man devised a strategy in his mind. Based on his study of the area over the past days, he selected three houses for manoeuvring in case the Enemy advances. He creates openings in the walls between the houses to move quickly & flexibly during combat.
— د (@trhxianl) December 25, 2024
One…
その場に落ち着くと、若者は頭の中で戦略を練った。数日間その地域を調査し、それに基づき、敵が前進してきた場合に作戦を遂行する場所として3軒の家を選んだ。戦闘中、3軒の家の間を迅速かつ柔軟に移動できるように家の壁に隙き間を作って準備した。
Once settled, the young man devised a strategy in his mind. Based on his study of the area over the past days, he selected three houses for manoeuvring in case the Enemy advances. He creates openings in the walls between the houses to move quickly & flexibly during combat.
ある夜、敵が彼の陣地の先へと前進しようとしてきた。神に頼り、アフルル・バイト(Ahlul Bayt ムハンマドの家族)に自分のために祈るよう頼みながら、彼は敵に立ち向かった。敵がわずか5メートルの距離にまで近づいていると見積もった彼は、自分が考案した計画に従い戦闘を開始した。手榴弾を二つずつ投げて、複数の戦闘員がさまざまな家から抵抗している幻想を作り出したのだ。小競り合いは約1時間続いた。彼は無傷だったが、対決を激化させることに決めた。
One night, the Enemy attempted to advance from his position. Relying on God & urging Ahlul Bayt to pray for him, he confronted the Enemy. He estimated the Enemy’s approach to be just five metres away. He began the fight, throwing pairs of grenades to create the illusion of multiple fighters resisting from various houses, following the plan he had devised. The skirmish lasted about an hour. Although unscathed himself, he decided to escalate the confrontation.
若者はRPGランチャーを準備し、一つの砲弾に二つの榴弾を取り付けて発射し、大爆発を引き起こした。敵の叫び声を聞き、重大な損害を与えたことを知った。敵が負傷者を避難させるときに激しい砲撃で応戦することを知っていたので、抵抗の第二波に備え、観察し準備を整えるため、近くの有利な地点まで退却した。
He readied an RPG (B7) launcher, attaching two grenades to a single shell & firing it, causing a massive explosion. He heard the Enemy’s screams & realised he’d inflicted significant damage. Knowing the Enemy would respond with heavy shelling to evacuate their wounded, he retreated to a nearby vantage point to observe & prepare for a second wave of resistance.
神の恩寵と知恵により、あるいは純粋な恐怖からか敵は撤退し、その方向からはもうそれ以上前進しようとしなかった。
By God’s grace & wisdom—or perhaps out of sheer fear—the Enemy retreated, making no further attempts to advance from that direction.
戦争の残りの期間、停戦になるまで、連絡も支援も仲間もなく彼は同じ地域に留まり、一人でその場を守り続けた。この間の食料はその地域にある被害を受けていない家で見つけたもので、ブルガー小麦、袋入りの麺類、ソラマメの缶詰、トウモロコシの缶詰など、飢えをしのぐのにやっとの量だった。彼は20日間近くこの状態に耐えた。
For the remainder of the war, he held his ground alone, without communication, support, or companionship, staying in the same neighbourhood. His food during this time consisted of whatever he could find in the undamaged parts of the area: some bulgur wheat, a packet of noodles, a can of fava beans here, a can of corn there—just enough to stave off hunger. He endured this for nearly 20 days.
誰かがこの若者の行動を狂気と言ったとき、彼はこう答えた。「ええ、考えてみると狂気の沙汰のように思えます。しかし、神は私に強さ、勇気、決意、そして不屈の精神を与えてくれました。それは私自身も驚くほどのものでした」。謙虚さから、彼は自分の英雄的行為を控えめに表現したが自分が何者であるかをよく知っていた。
When someone called him crazy for his actions, he responded: “Yes, when I think about it, it does seem crazy. But God granted me strength, courage, resolve, & steadfastness that surprised even me.” Out of humility, he downplayed his heroism, but he knew himself well.
若者はこう付け加えた。「私たちの主は目に見えない軍隊を送って私たちを助けてくださる。主はそう言われましたよね。『そしてアッラーは彼に平穏を与え、あなた方の目に見えない兵士たちで彼を支えた』と」
He added: “Our Lord sends unseen armies to assist us. Isn’t that what He said? ‘& Allah sent down His tranquillity upon him & supported him with soldiers you did not see.’”
この若者の発言の中でおそらく最も美しい部分は、「私は26日間アッラーと共に暮らしました」という言葉でしょう。
Perhaps the most beautiful thing he said was this: “I lived with Allah for 26 days.”
これがヒズボラだ。
This is Hizbullah.
*
この原文を読んだ時、実はちょっと泣いてしまった。私自身はアグノースティック[不可知論者]であり、どの宗教にも信心はないが、よく言われるように、ヒズボラの戦闘員たちが「神の男たち」であることは信じられる気がした。この力強さに裏打ちされた決意の静謐さには、こんな言い方はなんだが心の底から「しびれる」。
*
ヒズボラの戦闘員たちが戦場でどのように死んだかを見る機会はほとんどないが、たまに、イスラエル軍が得意げに発表するドローンの映像で見ることができる。
レバノン国境付近の村で「一人」のヒズボラ戦闘員が「冷静に」RPGとアサルトライフルを使い分け、イスラエル軍の一群と交戦、ドローン監視後にミサイルで殺害される動画をイスラエル軍が公開したのだが、「たった一人の戦闘員」の排除を航空支援に頼る動画で何を自慢したいのかさっぱりわからん。
— Midori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店 (@midoriSW19) October 22, 2024
イスラエルが公表した動画には「ラドワン戦士2名を殺害」とかいったタイトルがついているのだが、十数名のイスラエル兵と戦って殉教した戦闘員は一人だけだったのみならず、普段はタトゥーアーティストとして働くパートタイムの一般戦闘員だった。 https://t.co/VXJBVVkuKW
— Midori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店 (@midoriSW19) October 25, 2024
レバノン侵攻(記録として):IDF発表の動画
— Midori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店 (@midoriSW19) January 4, 2025
「ヒズボラの抵抗戦士は1人で占領軍と対峙している。銃弾の中の静謐と平穏。占領軍は地上での彼との対決に失敗し航空機支援に頼った。かつて殉教者イマド・ムグニエは『私達の中で戦っているのは霊だ』と言ったがそれは正しかった」https://t.co/5f3oIOurVk
神はいるかもしれないし神はいないかもしれない、たとえ神がいてもそれを証明することはできないかもしれないが、あらゆる物事にはコンセプトがあり、デザイナーがいると私は信じている。私はそれを「自然」だと考えているが、それを宗教と呼ぶ人もいるし(実際にそう言われたこともある)、自然とも宗教とも別のものかもしれない。それが何かはわからないが、ヒズボラの戦闘員たちの物語に出会えて幸福だ。
*
[注釈]
*ヒズボラはこの戦争(イスラエルの第三次レバノン侵攻)を「Uli al-Ba'as (Those of Might 力ある者たち)」の戦いと名付け、期間を、イスラエルの対外諜報機関モサドによる連続無差別テロ(携帯型小型通信機器を爆発さえた無差別攻撃)の第1日(2024年9月17日)を開戦日とし、60日間停戦が発効した11月27日16時のまでの72日間の戦争としている。60日の停戦終了後に、または終了前に戦闘行為が再開しなければ、この期間が確定する。