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HelloWorld
ピシン開始15日目
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課題に取り掛かると、
見えてくるものがある。
1:課題がどうやってできているのか
あくまでもベストな解決法のことを言っているのではない。
方向性さえ合っていれば、未解決(途中)でもまずはOK。
つまりは前よりよくなる兆候や流れが見えたらいいのだ。
具体的に言うと...
Q『とある言語で、HelloWorldと出力する関数を作りなさい』
という課題があった場合
ばっちりコードを書けなくてもいいということ。
大事なのは、
(...えっと、"HelloWorld"って指定されているから、直接書き込んだらいいのかな?)
とか
(...えっと、"HelloWorld"って指定されているけど、一回変数に代入してから出力したらいいのかな?)
と考えること。
答えとしては、きっとどちらでもいいのだろう。
でもこうやって
【いろいろ考える・思う】こと。
言語と仲良くじゃれて遊ぶこと。
こうやってパソコンがどんなルールで動いているか、どんな論理で動いており、どんな指示を好むのかも知る。
その課題に必要な箇所だけでいい。
そこから遊べるようになる。
これは実は人と友達になるときともほとんど同じで、
【相手の性格や、好む言葉】とかを知らないといけない。
(はじめから相性ばっちりで、意識しない場合はもはや友達超えて相棒と化すけど)
課題に取り組むと見えてくることの一つ。
2:自分が課題をどう見ているのか
課題というものに真剣に頑張って取り組んだところで
【一人で100%解決できる】ことはそうそうない。
頭が良くても、悪くても、体力があっても、貧弱でも。
あんまり関係ない。
なぜなら、
【その人にとって可能な限りの部分的な解決】
しか不可能だからだ。
一番簡単な例でいうと、
Q『とある言語で、HelloWorldと出力する関数を作りなさい』
と言われてパッパッとコードを書きあげる人がいたとしよう。
しかし、
それが
"HELLOWORLD"
になっていたとしたら。。。
求められているのは
"HellowWorld"
だ。
(は?どっちでもええやん。関数は理解してるやんオレ)
と、書いた本人は思う。
でも、
ここで問われているのは
【課題の解決】なのだ。
多分この人は
(ハローワールドとかそういう文字列をさ、出力するためのコードをなんか書いておきゃいいんでしょ)
と思ったのだろう。
うん。
たとえばもし、
課題がこうだとしたらどうだろう。
Q『目の見えにくい人が画面で見やすいHelloWorldという文字列を求めています。これを出力する関数をほにゃらら言語で作りなさい』
(目が見にくい人のために全部大文字にしよう!)
とか
(全部文字を半角スペース付けて広げてゆったり書こう!)
とか。
いろいろ考える。
この場合、考えやすいように
"目の見えにくい~"
とか
"ほにゃらら言語で~"
とか
引っかかりポイントがあった。
【普通の課題だと思わないでね】ポイントとでも言おうか。
だが、最初の
Q『とある言語で、HelloWorldと出力する関数を作りなさい』
たったこれだけでも、
人によっては、
("HelloWorld"の文字列に忠実にこだわろう!)
と思う人もいる。
なんだかもう、課題というのは、
【取り組んだ人の主観によって結果が変わる】
のだ。
だから、
課題を見つけたときに
ひとりでダーッと突っ走ったところで行きつく先は
さっさと終わらせたというぽっかりとした事実の穴
みたいな場所
なのだ。
的確な課題の解決、
つまり
考えうる100%の解決
を求められたときに、
課題を浅はかな解釈のまま進める
のは
微妙であり、個人的正解という誤りかもしれない。
じゃあ、どうすべきか。
他者の目から見た解釈を聞く・自分の解釈を話すこと
これが大事。
(こいつはそう捉えたのか。。)
(あいつはそういう解決方法を知っているのか!)
(そもそもこれってこうやって見るんじゃないですか?)
どんどんと、
課題を3Dプリンタのように立体化させる。
そして精巧に立体化されたらされるだけ、
解決の項目は増えていく。
こうなると、
単なるHelloWorld
じゃなくなるのだ。
ひとりで解決しようと思っても、すべてをちゃんちゃか仕上げられるほどの容易なものではなくなってくる。
自分から見える答えは
【一部分でしかない】
ことを体感できる。
自分の位置からは何が見えており、どこの箇所であれば解決しやすいのかがきちんとわかってくるのだ。
そもそも、課題とは
クリアできない誰かがいるから、
存在するのだ。
その誰かの気持ちは無視できない。
まとめよう。
1:課題はどうやってできているのか
課題を構成する仕組みや、動く論理を感じることが
手始めとなる。
2:自分が課題をどう見ているのか
課題は解釈するところから始まる。
勝手に簡単に解決したって、そこに残るのは
雑な未解決。
100%解決するには、自分の目線だけでは本来不可能に近いということを感じながら挑むのだ。