私とバリ島の出逢い-1
2024年、バリ島に移住して10年目を迎えています。
私がここに暮らす事になった経緯を記してみたく思います。
先ずはバリ島との出逢いのエピソードから。
3歳からピアノ(正確には6歳まではオルガンでした)を弾くことが大好きで、音楽への好奇心が旺盛でした。小学生の頃、音楽の授業で「世界の音楽」を鑑賞して「バリ島のケチャ」を音楽室の小さなテレビで見たとき「こんなに原始的でパワフルな音楽があるんだ!」と衝撃を受けました。
バブル最盛期の頃、海外旅行を紹介するTV番組でバリ島特集を見るたびに「いつか絶対に行く!」と思っていました。
中学の吹奏楽で”ジャンケンに負けて”オーボエを始めてからは、寝ても醒めてもオーボエ。
高校時代は吹奏楽の名門校で音楽漬けの日々を送り、音大生の4年間は日々練習に明け暮れ、それ以外の事を考える余裕も時間もなく。
音大を卒業後、アルバイト生活をしながら細々と音楽活動を続けていた20代の頃。
バイト先の海外旅行フリークの年上のお姉さんからバリ島へ行ってきた話を聞き、遂に私のバリ島への導火線に火が付いたのでした。
海外旅行自体は初めてではありませんでしたが、初の一人海外旅行!
バリ島というとリゾート感溢れるビーチエリアというイメージがありますが、とにかく「ケチャ」とガムラン音楽を実際に観る事が第一の目的だったので、空港から車で1時間半ほどのウブドへ直行。
事前に依頼していたドライバーは夜着のフライトだったので(おそらく気を利かせて)奥さんも同行して迎えに来てくれたのですが、こちらは初めての一人海外でとても緊張していました。
当時のバリは、今では考えられないほどに車も街灯も少なく、特にウブドはとても闇が深かったのです。もちろんスマホも無い時代。
私の地図上では、宿泊先の場所はウブドの街中の近くなのに、街中を通り過ぎてどんどん奥の方へ!
「私が泊まる予定の宿は街中だと思うのだけど」と拙い英語で聞いてみると
「まだ先だよ」と言われて。
何処かへ拉致されてしまうのでは?と冷や汗をかいていたら、山深い場所のコテージへ到着。どうやら地図が間違っていたらしい事が判明。
安堵して眠りに就き、翌朝、鳥達の賑やかなお喋りと抜けるような青空の別世界に、遂にバリ島へ来たんだ!と感激しました。
ちなみに、その場所は現在私が住んでいる場所から近く、その場所を通る度に、当時の事を想い出して可笑しくなるのです。
2001年8月の1週間ほどの滞在でしたが、憧れのケチャダンスはもちろん、バリ舞踊や影絵鑑賞、遺跡巡り・美術館、ガムランレッスン体験、オマケにバリ島旅行に来ていたドイツ人男性と恋に落ちてしまう(その年のクリスマス時期には、ちゃっかりドイツへ行く)という、盛り沢山の初バリ滞在。
恋に落ちたドイツ人の件はさておき…
すっかりバリ島に恋してしまった私は、東京のワンルームの部屋に戻ってからはバリで買い求めたガムランやケチャのCDを流し、お香をモクモク炊き、次のバリ行きはいつにしよう、、、とりあえずバイトのシフトを増やしてお金を貯めなくちゃ!と「バリ島熱」に侵され、翌年の夏はオーボエを持って、再びバリ島ウブドを目指したのでした。
現地のミュージシャンとのセッション、スリン(竹笛)の先生の所へ習いに行ったり。
その後も毎年のバリ行きを目指したのですが、音楽の仕事が増えてきて、アルバイト生活は卒業。
経済的に楽になった反面、仕事優先で自由に休みが取れなくなり。
そして2009年、数年ぶりにバリ島ウブドを訪れた私に、運命の出逢いが…
私とバリ島の出逢い-2へ続く