水野愛理と『はて?』
朝ドラ「虎に翼」がついに終わってしまいました。
非常に素晴らしいドラマで様々なレイヤーから「『法』とは?」と「『権利』とは?」とか、戦前から戦後、そして、平成まで描ききった作品だと思います。「ハイロー」のコブラが演じる花岡の奥さんとして、古畑奈和ちゃんも出ていましたね。
ちなみに、僕は前半の優三さんが戦争に行くまでのブロックが好きです。
後半は後半で語りがいのある要素が沢山あるんですけどね。母がいった地獄を歩み続ける覚悟を持って、次の世代のために頑張る姿は心を打たれました。
さて、主人公の佐田寅子は、周りの人々が当たり前だと思っていることに対して、「はて?」と疑問を呈します。それは時として、作品内の時代から50年近く経った現代でも、根深く残っている価値観や行き詰まりにも触れていると思います。普通なら口をつぐんで透明にしてしまうことでも、「はて?」と口にすることで我々は可視化できたり、やっぽりこれは透明にしてはいけないことだ、と認識させられます。
もう、来週から僕は何を楽しみに生きればいいんでしょう?
「光る君へ」を観ながら、次のドラマを探していこうと思っています。
昨夜、水野愛理さんがSKE48を卒業しました。
皆さんは、水野愛理さんに対して、どのような思いを描いていたでしょう?
僕は7期生とドラフト2期生で構成された「7Ⅾ2」という世代に夢を見た人間です。彼女たちが新しいSKE48の全盛期を作っていってくれると希望を持ちました。その中で水野愛理さんは、破天荒な性格と繊細な内面を持った人物だと思っていました。卒業公演での高柳明音さんの言葉を借りるなら「ちびギャルヤンキー」感もありましてね。まだ年下組だったからというのもあるかも知れませんが。
多人数グループの良さとして、好きになれるタグを持った人がそれぞれいるということが挙げられると思います。優等生的な正統派なアイドルもメンバーもいれば、才能と人間性のバランスの分配がまだ整う前で、でも、だからこそ気になるメンバーも出てきます。
水野愛理さんは、先陣を切って様々な声を挙げてきた人だと思います。
「反抗期」という言葉で片づけるのは簡単ですが、声に出さずに我慢することや発信するのに勇気がいることを発信してきたと思います。
それは時として、幼い主張の時かも知れなかったですし、対象となる問題の全体を眺められていなかったこともあるかも知れません。
でも、彼女がSKE48に居てくれたことで、SKE48というグループの風通しはよくなったのではないか、と僕は思っています。それに応えてくれた運営の方々の柔軟さも含めて。
もちろん、意見を声に出すことで逆風もきますし、アンチも生まれると思います(はてをローマ字にすると、HATE、ヘイトになってしまいますね)。時として、メンバーや運営だけでなくファンの人ともぶつかることもありました。でも、彼女単独の意見ではなくて、メンバー間で話し合ったことを彼女が発信したということもあるので、自分が矢面に立てる強さを持った人でもあるな、と僕は思います。
彼女の目指すアイドル像はプリマステラの誕生により、より解像度が上がったと思います。卒業後、ソロ活動を続けていくことになると思いますが、江籠ちゃん的なアプローチになるのかな、と僕は予想しています。
皆さんの予想していたアイドル像と水野愛理さんのSKE48人生は重なっていたでしょうか?
もし、違っていたとしても、「はて?」と声を挙げ続け、徐々に自分がなりたかったアイドル像を悔しさを重ねつつも辿り着いた彼女の姿に僕は強さを感じます。卒業時も悔しさについて語っていましたが、今度はソロというグループでもユニットでもない最小の単位でどう動いていくのか楽しみです。
ひょっとすると、もう彼女のような「破天荒」な人は出てこないかもしれません。でも、AKB48グループにハマった僕としては、「優等生」になりすぎなくていいよ、と思います。それは法を破った行いやファンとつながるみたいな「不良性」ではなく、グループの「当たり前」や「しかたないよね」で終わりそうなことに声を挙げる人が出てきて欲しいと僕は思います。良い意味での「物分かりの悪さ」、当たり前になりそうなことに変化の疑問を抱ける心。そんな人間臭さを持った不器用だけどまっすぐなあがきが大好きです。
だって、松村香織さんがいたグループですよ、そして、水野愛理さんがいたグループですよ、完全に推し贔屓ですが五十嵐早香さんがいたグループですよ(全員K2だ!)。どうか、SKE48がこれからも新しい風が通り過ぎ、水を留まらせない道を開けられる人がいるグループであってほしいなと思っています。彼女の精神は「空の青さに理由はない」という曲の中に残り続けるのではないか、とも。
ありがとう、水野愛理さん。
さよーならまたいつか!