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光る推しへ~五十嵐早香という星の光~
秋元康さんの曲で好きな歌詞はありますか?
僕の場合は「365日の紙飛行機」の中にあるこんな歌詞です。
ずっと見てる夢は
私がもう一人いて
やりたいこと
好きなように
自由にできる夢
人生の中で「もしも」を考える時って、あると思うんですよね。
上記の歌詞はポジティブな方の「もしも」ですね。
でも、僕はわりとネガティブな「もしも」を考えてしまうことが多いんです。「もしも、この歯医者さんが寝不足だったとしたら」とか、日常生活の中で考えなくていい「もしも」を想像します。
そして、ときどき、こんなことも考えてしまいます。
もし、五十嵐早香さんと出会ってなかったら、人生どうなってたんだろう?
この文章を読んでいる皆さんも「五十嵐早香さん」の部分をご自分の推しの方やグループにあてはめて読んでみてください。
どうでしょう?
いや、特に変わりはなく自分の人生を進んでますよ、という方もいらっしゃると思います。
でも、僕の場合は、推しがいたからこそ、人生が凄く前向きになったというか、明るくなりました。
もともと、文章を読むのが好きだったので、SKE48に面白い文章を書くという研究生が出てきた時に、凄く嬉しかったのを覚えています。そして、その面白さをなんとか他の人にも知ってもらいたい、と思いました。
ちょっと話がそれるかも知れませんが、自分のことよりも他人のために行動するから「推す」っていうのかな、と最近思うんですよね。僕よりも前の世代のヲタクの方々は「萌え」という言葉を使われることが多かったかと思うんですが、「萌え」は自己の中で完結していてあんまり「行動」は伴わないイメージでした(あくまでイメージなので、間違っていたらごめんなさい)。
話を戻すと、推しの魅力を知っている人が多い世界の方が楽しい、と思って僕は彼女のブログの感想を書き続けました。
毎週、更新される彼女の文章について考える時間は、一週間の中で一番キラキラして、一番幸せな時間でした。
時として、彼女が書いた本来の意図を外れていたものもあったと思います。それでも、毎回、書き続けながら、彼女の文章を読む人が増えて行くといいなと思っていました。もちろん、早香先生の魅力は文章だけでなく、楽しい配信や公演で踊る時のシリアスな表情もありました。
SKE48の五十嵐早香の物語は、まばゆい星のように輝き続け、正規メンバーに昇格することでその光は更に眩しくなると思っていました。
しかし、彼女はある日、卒業発表をします。
ちょうど、その頃、なんとか早香先生のボツになった文章を乗せる雑誌を作ることが出来ないかと色々と聞いたり、準備をしたりしていました。
間に合わなかったんだ。
僕一人じゃ、何もできなかったんだ。
自分の無力感に愕然としました。
あの夜の悔しさは今でも覚えています。
そして、彼女が卒業する日がきます。
最後の公式ブログも本当に素晴らしいので、是非、読んでいただきたいです。そして、最後のSHOWROOM配信でのラスト2秒の言葉。
「SKE48の五十嵐早香でした」
輝く星は流れていきました。
ああ、これでおしまいか。
その夜は涙が止まりませんでした。
翌朝、寂しさを感じながらも、明るい方の「もしも」を抱き始めていました。ソロになることで、なんらかの形で仕事を依頼しやすくなるのではないか、と。
それから早香先生はゼロイチファミリアに所属します。
漫画雑誌の表紙やグラビア誌だけでなく、近年では優れた俳優さんを出されている多種多様な表現者が所属する事務所です。これは原稿の依頼ができるのでは、でも、その原稿を依頼する媒体が無いとそもそも出来ない。
可能性はゼロじゃないよな?
僕は流れたはずの星をもう一度追いかけ始めました。
彼女の好きな部分である「魅力あふれる文章」に対して、出来ることはないか?
そこで僕は、自分で雑誌を作ることにしました。
雑誌を作るためのソフトを触ったこともなければ、ISBNコードの取り方も、書籍コードの登録の仕方も知りませんでした。
それでも、「推しの活躍する場所をファンが作りたい、推しの仕事をファンが作ってもいいじゃないか!」という今考えると子供じみた思いから怖いもの知らずに色んなところに連絡しました。
そんな世間しらずな僕の姿をみかねて、色々とアドバイスをくださったり、力になってくださったりした方々には今でも頭が上がりません。
少しずつ、平凡でさえなかった僕の物語が、前に進み始めました。
そこからの3年間、早香先生は配信アプリを中心に頑張っていて、そこで僕も新しい五十嵐早香さんファンの方々「いがらー」さんたちのお名前を沢山知ることになります。グラビアで全国紙に出たり、noteで相変わらず素晴らしい文章を書いたり。
僕はというと、初めてクラウドファンディグをして雑誌を作る資金を集めて、でも、経験不足で思い通りに雑誌を作れなくて、多分、半分ぐらいの読者を失いました。それでも、懲りずに続けて、相手にされなくて。何度も何度も叩かれて、自分の実力の無さに泣いて。それでも続けて。前は読んでくれていた方や反応していた方もいなくなって。それでも、また新しい仲間と出会って。でも、正直に書くと、この頃は未来が見えない真っ暗な夜の中で、もがいていた時期だと思います。
そんなことを繰り返しているうちに、出版社の方から連絡をいただきます。
本を出しませんか、という内容でした。
いつか物書きになってみたい、と大学生の頃、思っていましたが、「もう無理だろう」と諦めていたました。しかし、僕の活動を面白がっていただき、物語的な面白さと役に立つ実用書的な面、どちらも持った本を作れないか、という提案をいただきました。
で、そこから雑誌作りをしながら本の執筆をしながら、ラジオを毎日撮りながら、毎週記事を更新するという書いているだけでクラクラしそうなことを約1年続けます。更に、雑誌作りが終わると、note創作大賞の小説も書くなど落ち着きのない毎日を送っていました。あと、本格的に雑誌のデザインや印刷について学びたいと地元の印刷会社に転職しました。
さて、デビュー作の製作が進んでいく中で、もし、発売記念でコラボするなら、という話になりました。
頭の中で色々な方の顔がかけめぐります。
強く影響を受けた批評家の方、大好きな映画監督。
そして。
「あの、推している五十嵐早香さんはダメでしょうか」
遠くの星の光がまた見えてきた瞬間でした。
2024年10月23日。
僕のデビュー作が販売された日です。
ありがたいことに、ヤフーニュースにしていただいたり、ORICONで特集を組んでいただいたり、「昭和40年男」や「経済界」で紹介していただいたり、「モノマガジン web」では青山通先生が書評を書いてくださった記事が1位を取りました。
とてもじゃないですが、予測できなかった未来です。
そして、出版社の協力を得て、五十嵐早香さんともコラボして、オンラインサイン会のクラウドファンディングをすることになりました。
あの時、思った、推しの活躍する場や推しの仕事をファンが作りたい、という僕の思いが少しだけ現実になってきました。
「もしも」、五十嵐早香さんと出会ってなかったら、僕のデビュー作は生まれて無かったと思います。僕の人生を明るく照らしてくださった「光る推し」でした。
まだ、どうしょうもなく辛い時や痛みを感じることもあります。今も数字が毎日共有されるチャレンジをしているので、本当に自分の力のなさに叫びそうになることもあります。それでも、あなたが遠くで輝ている間は頑張れます。これからも色んな人の「光る推し」でいてください。
うん、きっと誰かの推しは誰かの人生の光なんだと書きながら思いました。いつか、僕も早香先生のように誰かの人生を明るく照らせる人間になりたいな、と思いながら、この記事を終えたいと思います。
※イメージした曲を貼ってお別れです。
アドベントカレンダーはまた2年後!!
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