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おすすめの配信ドラマ「地獄が呼んでいる」・「静かなる海」

  年末年始は時間が出来たので、Netflixの海外ドラマを観て行こうと思いましてね。
 コン・ユとぺ・ドゥナ主演の「静かなる海」を1日2話ずつ観て行きました。
 また、「地獄が呼んでいる」は、2021年に観終わっていたんですが、書くタイミングがなかったので、この機会に書いてみたいと思います。

 目次をつけておきますので、片方しか観ていない方でも観ている方をクリックしていただければ、自動的にそこに飛べるようになっています。
 ではでは、どちらもネタバレありで行ってみましょう!

「静かなる海」

 まず、作品を一言で評すると、「月の時間で面白くなっていく!」と僕は評します。
 

 よく、アニメ好きな方が「あの新番組、1話で切ったぜ!けけけ!!」というようなことをおっしゃっていましたが、有限の時間を有効に使おうという心がけは素晴らしいと思うんですが、勿体ない気もしましてね。
 「カメラをとめるな!」や「ヒメアノール」の前半だけで席を立ったら、勿体ないのと同じ感じですね。
 1話のラストで宇宙船が落ちてしまう緊急事態にワクワクしたものの、2話は動きがあまりなく、「ううむ、これは失敗したかも」と心配になっていたんですが、3話の急に人体から流れる放水に始まり、「月の水」、「ルナ」、「RXの野望」と徐々に面白さを加速させる要素が、ドラマの中に登場していきます。
 なので、このドラマで一番面白い話は、どれと聞かれたら、おそらく僕は面白さがマックスになる最終回を挙げると思います。
 「我々は知っているはずだ」という「映像の世紀」のナチスの蛮行の映像の時のように、「実はお前もそこに居たのか…」という真実。
 正直、最終回まではコン・ユを宣伝とかでは前面に出してたけど、実はぺドゥナが演じるソン・ジアン博士の物語では、と思っていたんですが、最終回でコン・ユ演じるハン隊長があるものを軸に泣かしてくれます。
 それはですね。
 「足」のイメージのシーケンスです。
 まず、ハン隊長が地球に残している娘さんは、身体が弱いんですが、施設にいる時にハン隊長がさすっているのが娘の足なんですよね。
 元気になって、自由に歩けるようになってほしい、という願いもあるのではと作中の描写から僕は考えました。
 で、月面の基地で娘と近い年頃のルナを「月の水で捕まえちゃおう作戦」(勝手に僕が命名しました)で、傷つけてしまいます。そう、彼女の足を。
 最終回。
 ハン隊長がルナの足に位置が分かるバンドを付けるところが印象的に描かれます。
 ルナからしたら地球から人間との和解もあると思いますし、ハン隊長は贖罪の意味があったのではと思います。
 そこから、放水フィーバーからの基地が崩壊!
 ルナは元気に月の上を歩き回っているじゃないですか。
 しかし、ハン隊長はもはや虫の息。
 彼の宇宙服に貼られた娘からプレゼントされたシールをルナが押すシーン。
 娘が「これを押したらパパのことを助けに行くからね」的なことを言ってくれたシールなんですよね。
 だから、ルナがこのシールを押したことは、死に行くハン隊長にとっての救いかも知れません。歩くことが出来なかった娘の姿は見られませんでしたが、最後に月の上を歩いてまわるルナの姿があった。
 涙を流すハン隊長の目には、ルナが見えていたのか、娘が見えていたのか。
 作品の中でハン隊長視点が描かれてないからこそ、想像が働かされる良いシーンで、僕も涙が出てきました。

 ゆっくりと面白さが加速していくそんなドラマでした。  

 それにしても、僕はコン・ユという役者さんの顔が好きでしてね。
 なんていうんでしょう、あのスマートなナイスミドル。
 「新感染」で彼を知ったんですが、父親役を演じる彼の姿とラストの自己犠牲には涙が止まりませんでした。そこから、「トガニ 幼き瞳の告発」を観て、鉢植えで外道の頭を殴るシーンやラストの放水車のシーンも涙しましてね。
 「82年生まれ、キム・ジヨン」での悪い人じゃないんだけど、妻の気持ちに時として鈍感な夫の役も素敵でしたね。
 最近だと「ソボク」を観たんですが、こっちはちょっとアクション多めのワイルドな役もしていましたね。
 ドラマの「トッケビ」をおさえてないんですが、こちらも今年中に見たいと思っています。
 今回の「静かなる海」でも静かに息を引き取っていく表情が本当に素晴らしかったです。
 作品のテーマとしてあるのは「将来の枯渇への不安」、「今を生きる自分たちが未来の可能性を食いつぶしている」という2点ではないかと思います。
 水の枯渇のことと、月での人体実験のことですね。
 それはドラマを観ている僕らの現実の世界でも持続可能な世界を作るための政策や企業努力が求められていますが、果たして、どこまで出来るのか、「静かなる海」を見ていると、考えさせられます。
※Netflix公式チャンネル舞台裏映像も面白いのでチェック!


「地獄が呼んでいる」

 先日、山口真一さんの「正義を振りかざす『極端な人』の正体」(光文社新書)を読んだんですが、「正義」を振りかざす人達の背景には、「怒り」の感情があるそうです。
 自分と違う考え、主義主張に対して強い怒りの感情を抱く。
 「極端な人」による殺人について始まり、「極端な人」はとにかく発信をすることなんかも挙げられています。 
 僕は読みながら、「これ、『地獄が呼んでいる』に出てくる『矢じり』の皆さんじゃん!」と思いました。
 「地獄が呼んでいる」の根底に流れているのは、「ネットリンチの恐ろしさや極端な正義を振りかざす人の恐ろしさ」が描かれています。
 それは物語の前半の新真理教登場編の狂信者たちの暴力配信、そして、徐々に有名になっていく真理教をエンタメとして面白がっていくテレビ局。この辺りは、今の日本もネットとテレビが悪い意味で共犯関係にあることと、僕は通じている気がしています。
 今週、こんな失敗したやつがいるとネットで発信して、テレビで報道、そして、再びネットでリンチ。この悪循環を連想させられるシーンがもりもりで、毎回、鑑賞中の気分は決して爽やか3組という感じではなく、げんなりでした。
 そして、顔が素敵なチョン・ジンス議長の死から、もう教団はブレーキが壊れた感じで広がっていきます。
 後半の部では矢じり配信者のイ・ウンジクさんが普段は、ただの冴えないおじさんとして登場するところが衝撃的でした。個人的には、改心してほしかったところですが、思えば、信心って一番気軽に自己肯定感を得られる部分かも知れません。「自分は真理教の一員である」という。それはネットで「私は〇〇人だからまとも!〇〇人はダメだ!」と声高に叫んでいる世界中の人たちに通じる気も少しします。もう貧しさの最後のよりどころともいえますが。


 それから、第1話から僕らの度肝を抜いてくる3匹のゴリラみたいな神の使い。
 こいつらをどう解釈をするかは、人により違うと思いますが、僕は人生における理不尽な現象だと思っています。それは自分に対して振りかかることでだけはなく、他者に対して振りかかったこともです。
 日本の民俗学では、そこに「祝い」や「呪い」のような意味を付加していったんですが、まさにこの作品の中でも自然現象であるゴリラの化け物たちに人々が意味を与えていきます。
 議長が死んだ時は祝いであり、一般人が死んだ時は呪いであると。
 これは、ひょっとすると、日常の中の理不尽をどう感じるのかとも繋がるかも知れません。
 

 ラストシーンに関しては、再生というこれまでのドラマのルールがリセットされたような展開にぞくぞくしました。
 シーズン2もありそうで、果たしてどう描いて行くのか楽しみです。

ううむ、ネットフリックスのドラマは名作が多いですが、2022年も注目作を観て行きたいと思いますよ。


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栄、覚えていてくれ
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