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欅坂46「制服と太陽」試論

※この記事は「これが答えだあ」みたいなものはなく、「こういう見方も出来るかも」とSKE48ファンが考える記事です。

 皆さんが一番自由を感じていた日々は、何歳の頃でどのコミュニティに居た時でしょう。
 欅坂46の「制服と太陽」を聴くと、ふとそんなことを考えたくなります。

 まず、この曲の舞台は教室での進路指導という場面から始まります。
 「未来」や「将来」を連想させられる場ですが。曲の主人公の「私」は居心地の悪さを感じています。

 教室の空をみると、空を飛ぶ鳥の姿が。その鳥の姿から「希望」という言葉を「私」は連想します。

 ここで注目したいのは、サビの部分で登場する「校庭」と「太陽」です。どちらも教室の外にあります。そこでは「自由な日々」を過ごしてきた。
 つまり、「自由」は教室の外にあるのではないか。
 その「自由な日々」を「制服」という彼女を本来は縛るものなんですが、「太陽の匂い」、それは「心の光」である自由を内面に隠しもっていたのではないか、と僕は考えました。そして、スカートという同じく「制服」の一部も風によって広がる、つまり、解放されるイメージを僕は持ちました。
 最終的に「私」は教室を出ることを決めます。

 逆に教室に居る大人たちは、「行動」ではなく正論なんですが「理想」を提示して話し合おうとするのかも知れません。
 「大学に行く」、「就職をする」、それは全く間違ってないですし、標準的な選択だと思います。でも、「それだけしかないのかな?」と考える自由が「私」にはあるはずです。選ぶにしても自分で選ぶのと強要されてというのは違いますよね。もっと言うと17、18で進路を決めるというのも自分で決めたことではないですしね。

 ひょっとすると、「私」の考えは甘いのかも知れません。傷ついてしまう選択かも知れません。それでも、誰かに決められるんじゃなくて自由を選ぶ。
 自由を連想させる「太陽」とルールや束縛の証である「制服」。
 でも、その制服は「太陽」により自由の側にハックされていく。
 匂いは「制服」に残っている。
 だから、「制服と太陽」なのかな、と考えました。
 
 そういえば、「10月のプールに飛び込んだ」も「自由は教室の外にある」という感じの曲ですし、「行動する」っていう歌詞のはずなんですけど、ちょっとやり過ぎ感があります。2016年とか2017年の若かった頃というか、グループの色がはっきり付く前の欅坂46ならいけたのかもしませんが。ただ、この曲が「黒い羊」の後に来るのは辛かったかも知れません( あくまで僕の感想です )。「黒い羊」から「誰がその鐘を鳴らすのか?」ならばまだ繋がった気がします。
 むしろ、制服をコインロッカーに預けて、渋谷に繰り出す「危なっかしい計画」の方が、僕はこの曲に近い何かを感じます。

 皆さんの自由は窓の外でしょうか?
 それとも、あなたが身に着けたり持ち歩いてる物の中にあるでしょうか?
 あるいは、内面の中にずっと残っているでしょうか?
 今、この記事を書いている僕はどうでしょう?
 学生時代のことは勿論ですが、これからの選択について思いを巡らせる1曲でした。

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栄、覚えていてくれ
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