五十嵐早香のエッセイは何故、面白いのか? 第4回「2019年の秋葉原で」
先日、SNSで相互フォローさせていただいている、古畑奈和ちゃんファンの方から、中島みゆきさんの「縁」という曲を教えていただきました。この縁という曲の中で印象的な歌詞があります。
縁があれば、どんなに距離が離れていても必ず出会うし、縁がなければどんなに近くに居ても出会えない。
我々の人生も、時々、縁を感じることってありますよね。
僕も文章を書いていて出来た様々な縁のおかげで、生かされていると思います。
さて、今週の五十嵐早香さんのエッセイでは、そんな縁を感じさせられる内容になっています。
いやあ、ついに出ましたね。
「SKE48」の5文字が。
我々にとっての金曜日が、ここ数週間、早香先生のおかげでエキサイティングなものになっているように、彼女自身も金曜日はバスに揺られて、アイドル活動をしにマニラへ、そして、土日に練習やアイドル活動をした後、また月曜日の朝から学校へ、というとんでもない日々を送っていたわけなんですね。
なんというか、研究者たちが家に帰らずにずっと研究室の床で寝ていても、研究できるから幸せ!と思うように、彼女にとってアイドル活動がスケジュール的にハードでも「やりたい!」という強い思いがあったから、続けられたんでしょうね。
しかも、フィリピンのアイドルの紫担当である「はややん」としても順調で、チェキやプロマイドが売れているという話は、国が変わっても当時のアイドルカルチャーの勢いを感じますね。
そして、ここからが重要なんですが、彼女はこのままフィリピンでのアイドル活動を楽しみながら、フィリピンの大学に行き、フィリピンで就職すると考えていました。ちなみに、この考えは第1回でも書かれていますね。
しかし、彼女の人生は、いつも思いもよらない時にドラマチックな選択が待っています。
2019年の夏。
彼女は、日本に帰国し、秋葉原でメイド喫茶でメイドのバイトをします。
現在も続くメイドの衣装の原点がここにある気がしますね。
炎天下の中、ビラを配る早香先生。
しかし、メイドの仕事を気に入っていた早香先生は、楽しくビラ配りを続けていました。そんな中、ついに運命の出会いをします。
30代半ばぐらいの紳士が出した、「FRUSTORETION」のCD。
紳士は10期生のオーディションを早香先生に勧めます。
彼女のフィリピンでのアイドル活動については、語っていません。それなのに、アイドルを勧めたくなる逸材だったんですね。
もう、映画「マッドマックス フュリオサ」におけるジャックのような方ではないですか?
この方との出会いがなかったら、彼女は、いまどこでどうしているんだろう、と想像しました。同じく、今、早香先生を推している方々の人生も変わっていたんでしょうか?
僕は間違いなく、今の仕事に転職してないと思いますし、雑誌も自分で立ち上げていなければ、プロデビューまでの道も開けなかったでしょうし、スムーズに自殺していた可能性もあります。そういう意味では、彼女に人生助けられたなあ、と思いますし、もっというと、この秋葉原の紳士にもお礼を言いたし、あったら蕎麦のいっぱいはご馳走したいと思いましたよ。
日本から遠く離れたフィリピンのバギオに居た彼女が、秋葉原でSKE48に出会い、いよいよ、ついに愛知県の栄へ彼女の人生の矢印が向き始めます。
「FRUSTORETION」のイントロのように、SKE48が彼女を呼び寄せます。
2018年、世界1、2位をとった二人の真ん中に古畑奈和ちゃんが立つこのシングルは、踊ること、騒ぐこと、理論よりも本能で動くことの解放感を味わうことが出来ます。古畑奈和という人の持つ自由さともリンクすると僕は思います。
そして、五十嵐早香先生も、このグループで踊り、騒ぐことになります。
来週はいよいよ、オーディション編ではないかと思います。
その前に、果たして、フィリピンに住むことを決めたご家族をどう説得するのか?
フィリピンのアイドルグループの活動は?
などなどまだクリアーしなければいけない問題も多そうです。
果たして、来週どうなる?
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