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櫻坂46 3期生の「何度 LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう」における「読み手」から「書き手」への変化が解像度に与えるもの


 2024年2月19日。
 櫻坂46の3期生の新曲「何度 LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう」が公開されました。
 まずは、公式サイトに上がっている曲を聴いてみましょう。

 まず、ミュージカル映画的な楽しさが良いですね。
 1分18秒とか1分20秒あたりのズームの使い方も凄く効果的に使われえていますし、メンバーの躍動感を感じられる素晴らしい作品になっていると思います。黒板消しを叩いたり、ジャンプするところとか、いったいライブではどんな振り付けになるんだろう、と楽しみです。
 疾走感のあるメロディもこれからの春の季節にぴったりですし、爽やかな風のような衣装も最高です。
 しかし、僕がこの曲で推したいのは、やはり歌詞です。
 まず、タイトルからして、秋元康というラブソングを書きまくってきた作詞家のラブソング論のようにも見えます。
 ちょっと内容を見てみましょう。

 まず、1番では、眠れない夜という場面設定が提示されます。
 そして、曲の主人公である「僕」は「君」のことを考えているから眠れないのでは、と考えます。自分を映画の主人公のように置き換えて、他人には言えない恥ずかしいシチュエーションを妄想をしていきます。
 恋という中毒性の高いものに人はどう向き合えばいいのか。
 「僕」は何度もラブソングの歌詞から、自分に思い当たるフレーズを見つけては切なくなり、きっとこんな歌詞と同じ経験をした人がもう過去にいると思うわけです。自分の思いを分かって欲しいと歌詞にしていたのではないかと。
 整理すると、1番で印象的な歌詞は、恋をする気持ちや妄想してしまうことは、時代を超えて人間共通のものだということです。そして、「僕」はラブソングの歌詞というフォーマットからそれを感じるわけです。

 2番では、眠ることと夢をみることについてから始まります。
 自分の思い違いなどを昨日の夢に置いていけるから、眠ることで救われる。夜が明けて朝になるともう昨日の記憶はない。言い換えれば、1番で提示されたような切ない気持ちはもう無くなっているかも知れない。
 そして、サビでは「僕」もラブソングの歌詞を書いてみたくなります。
 怒りにも似た思い通りにならない気持ちの行き場として、ラブソングの歌詞を選びますが、僕は冷静になって気づいてしまいます。好きになっても叶うことがないと。 
 ここは、この曲の一番面白いところだと僕は思っています。
 読む側から書く側になったことで、読み手としての解像度が上がったわけです。たとえば、自分が何か料理を趣味で作っていると、外食に行って同じ料理が出てきた時に、今まで気付かなかった工夫に気づくことがあるかもしれません。あるいは、今までしていなかったスポーツをやってみることで、テレビ中継で観たプロのプレイの素晴らしさを初めて実感する。
 同じように、ラブソングというものに描かれているものを冷静に読めてしまった。ラブソングという「愛」を扱う歌詞を解像度が高く読みながら「愛」を「理不尽な情熱」と気づいてしまう。
 これは、1番で何度も読み返した「情熱」と2番の自分も書いてみようと思った視点で読んだ時の「冷静」さの対比になっていると思いました。

 大サビ前では、自分と同じように恋して眠れない人にラブソングを書くことを「僕」はおすすめします。一度書いてみることで、ラブソングに置き換えることで「冷静」に自分の恋を読めるようになるだろうと。
 ここの箇所はなんで眠れないのか、という問いにそれは人間が妄想( 想像? )し続ける生き物だからだという答えを提示してきたと僕は読み取りました。
 全然、関係ないですが、ここの振り付けが大好きです。 
 大サビは、1番のサビ部分を繰り返しますが、2番と大サビを経ているので、響きが違いますね。

 さて、まずは、歌詞の世界をゆっくりと見ていきましたが、ラブソングというものや他の文章を読む時に感じる、「自分の知らない遠い誰かが自分と同じような気もちなっている」とか「なんで自分のことをこんなに分かっているんだ」というような鑑賞の楽しみが歌詞の世界の中に広がっていると思います。ラブソングの歌詞にしておくことで、次の誰かがまた読んで「僕」と同じように切なくなるかもしれません。
 しかし、少しいじわるな視点でみると、でも、妄想や気持ちを歌詞という一つの言葉に変えて行った瞬間、情熱的な愛は残酷なくらいありのままの現実を見てしまうかも知れないよ、という風にも僕は読めました。
 僕の妄想ですが、おそらくこの「僕」はラブソングの歌詞を誰にも見せずにしまっておくような気がします。皆さんはいかがでしょうか?
 
 ちなみに、自分の思いを文章にする曲を秋元康は秋元康が14年前に傑作を書いています。SKE48の「恋を語る詩人になれなくて」公演の最後の曲、「手紙のこと」という曲です。

 そもそも「恋を語る詩人になれなくて」という公演の一曲目のタイトルから分かる通り、恋について書く言葉を持っていなかった主人公が、公演の最後の曲である「手紙のこと」という曲で、主人公が手紙を書くというやり方を手に入れます。しかし、曲の最後でこの手紙を出さないという決断をして終わります。とても切ない終わり方です。
 ふと、この「何度 LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう?」と並べてみると、また別のレイヤーが加わるような気がしました。
 櫻坂ファンの方も、よろしければ、是非、一度聞いてみてください。
 それにしても櫻坂46の3期生って、良い曲ばっか来てませんか?

 SKE48ファンとしては、羨ましい限りです。
 秋元康の自選作詞集の言葉を参考にすると、きっとイマジネーションを広げてくれるメンバーがいるんでしょうね。
 ラブソングを作り続けた男が生んだ、ラブソング論的な歌詞、皆さんはどう響いたでしょう?

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