Vol.5 たろうとパッション-前編-
みなさんこんばんは。パッションです!
「パッションのインタビュー記事をみるのが楽しみ」と直接声をいただいて、もの凄く嬉しくなりました。パッションです!
今回のインタビューについて、詳しい経緯などはこちらをご覧ください。
そしてパッションインタビュー第5弾は、鹿児島へUターンされて1年、前職は建設コンサルタントの原本太郎さん!
建設コンサルタントをされていた時の話や鹿児島へUターンしてきてどんなことを感じているかなど、たろうさんにあれやこれや聞いてみました!
それではインタビュー、パッション!!
◆やればやるほど感じた”違和感”
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今日はよろしくお願いします!
たろうさん(以下”たろう”)
お願いします。
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最初に自己紹介をお願いします。
たろう
原本太郎です。今31歳で、日置市に住んでいます。妻と1歳の娘がいます。去年の7月にテンラボに合流して、テンラボ以外では店舗コンサルティングなど空間づくりに関わることをしています。
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ありがとうございます!
たろうさん出身はどちらになるんですか?
たろう
出身は鹿児島市ですね。
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そうなんですね。趣味はなにかありますか?
たろう
最近は出来てないけどキャンプは好きだね。
アウトドアなたろうさん
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アウトドアなんですね!
たろう
そうだね。子供産まれてからは出来てないんだけど、それまでは旅行とかも行ってたし、外に出ることは好きだったね。
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そうだったんですね。学生の頃は何かスポーツとかされていたんですか?
たろう
中学校までサッカーをやってて、高校は鹿実だったからサッカーはやらないでフットサルをやってた。
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子どもの頃の夢ってあったりしましたか?
たろう
高校生の時に建築をやりたいなって思って、建築士になりたかったですね。それで大学も建築を選んだんだよね。
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なるほど。
建築をやりたいって思ったのは何でだったんですか?
たろう
元々、ものを組み立てたり、マンションのチラシとかである間取り図を見るのが好きだったのと、建築を通してその人その人にあった空間をつくっていくのが良いなと思ってた。
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そうだったんですね。
大学ではどんなことされていたんですか?
たろう
大学から上京して、東京工業大学って所に進学したんだけど、1年生の時って学科とか決まってないから、建築、都市計画、土木とか建設とかそういう系の分野に1年生の時は入ったね。
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具体的には2年生から決まっていったんですか?
たろう
2年生から社会工学って言って、都市計画とか社会学とか幅広い分野に進んで、その後研究室では景観とか公共空間、デザインの方に進んだって感じかな。だから建物1つのデザインってよりはもっと幅広い都市空間だったり公園だったり、公共の空間のデザインに興味が移っていったんですよね。
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ひとつの建物のデザインよりも幅広い空間のデザインに興味があったのは何でだったんですか?
たろう
良い建築はたくさんあるけど、良い公園や道路は少ないなと感じて。公共空間のデザインとか使い方とかもっと可能性あるんじゃないかなと思っていて。
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なるほど。
実際に大学を卒業されてからはどういうお仕事をされていたんですか?
たろう
大学院の時に、大分県別府市の海岸の緑地の整備プロジェクトに携わっていて、そこで建設コンサルタントっていう業種の人たちと一緒に設計をしていたのね。大学の研究室でデザイン部分をやっていて、その経験とかやりがいがあって建設コンサルタントをやりたいって思った。だから大学院を卒業した後は東京の建設コンサルタントの会社に勤めました。
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実際に東京で建設コンサルトとして働いてみてどうでした?
たろう
会社入って配属されたのが希望通りの都市デザイン部って所で、公園とか橋のデザインに関わったり、震災復興の仕事とか。あとは沖縄の米軍基地の跡地利用みたいな仕事をしたり。大小いろんな仕事を全国各地でしていて、最初の方は計画つくるにしても設計するにしてもよく分からなかったんだよね(笑)やっていくうちになんとなく分かるようになって、それなりにやりがいを感じつつやってたんだけど、やればやるほど気付いてきたことがあって。
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何に気付いたんですか?
たろう
例えば観光振興計画とかをつくっていて、行政が観光を推進するかもしれないけど、結局観光客にサービスを提供するのは観光事業者とか地元のお店をやってる人たちじゃん。
でもこの計画ってその人たちの為になっているかなって思ったり。
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例えばどんなことがあったんですか?
たろう
八王子市の商店街の通りが90年代につくられて、もう30年ぐらい経って老朽化が進んだり、商店街も時代に合わなくなって、商店街の道路をデザインする仕事があったのね。それで道路のデザインを建設コンサルトがやろうとすると、路面のデザインとか照明のデザインとかあくまで公共部分のデザインでしかないのね。
でも商店街の楽しさってそこだけじゃなくて、お店の種類、お店の雰囲気、そこで働く人たちの雰囲気、そこの地域のコミュニティだったりの滲み出しみたいなのがあって、そういう所は設計とか計画では扱いきれない所とか。
あと、道路の改修ってなると、億単位でかかったりするわけよね。だけどそれに見合うだけの地域に対する効果とかインパクトを生み出せているのかなとか。極論、道路の改修よりもお店の支援って方向性もあるわけじゃん。でもそこをちゃんと議論することが、今のシステムとか仕組み上なかなか厳しいってことに気付いて。
そういった違和感を感じはじめたかな。地域に関わる仕事をしてるけど、もちろん多少なりとも地域のためになってると思ってるんだけど、本質的にこれでいいのかなって。
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なるほど。本質的な課題解決になってるのかを考えはじめたんですね。
たろう
そうだね。東京で日本各地の仕事をしていて、そもそもその地域に深く関われないって所もあった。東京の仕事だと現地に行けるけど、結局仕事量的に商店街の人と頻繁に話したりできないしね。
◆もっと地域に近い仕事がしたい
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その違和感を感じながらどうされたんですか?
たろう
その時沖縄の支店が立ち上がるって時で、沖縄に転勤になったんだよね。沖縄の仕事が多くて、会社としても支店を立ち上げて都市分野の仕事をたくさんしていこうってなっていて。
だからもっと地域に関われたり、自分たちで働きながら開拓していったり、それはそれですごく期待していたし楽しみだったかな。
違和感と期待が入り混じりながら沖縄へ
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そうだったんですね。沖縄に転勤されて実際どうでしたか?
たろう
東京で感じていた違和感も沖縄に行ったらなくなるかなと思っていて。地域に関わるって意味では地元の人たちとやり取りできたってのはある。
でも沖縄の仕事は沖縄振興で100%国税のものも少なくなくて、他の都道府県と違ったりするんだよね。市町村によっては予算があるから事業をやってるみたいな感じがあって、それはそれで違和感が深くなった所はある。
あと地域に関わってどうしても超えられない壁とか、結果はすぐ分からないんだけど良い計画つくったけどそれが本当に地域の人たちにとって身になるものなのかなって考えていました。
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違和感はあまりなくなりはしなかったんですね。
たろう
そうだね。今まで計画とか大枠のとこをやっていたけど、もうちょっと地域に近い所の仕事をしたい、地元の人との接点とか行政との繋げ役だったり、そういう役割として仕事をしてみたいなと思ってテンラボに入りました。